丸め込んで蓋をしている気持ちはなんだろう
東京に天気予報どおりの雪が降ったからというわけではありませんが、初めて『アナと雪の女王』を観てみました。
言わずと知れた大ヒット作で、公開されたのは10年以上前とのこと。時の流れの速さを感じました。
物語の冒頭、エルサとアナが二人で遊んでいる場面。
エルサが誤って妹のアナにの頭に魔法を当ててしまいます。
意識を失ったアナを救うため、二人の両親(王・妃)はトロールたちに救いを求めます。
冒頭のセリフはそのトロールの長であるパビーが言ったものです。
物語はここから続くのですが、私はこのセリフが頭に残りました。
この物語では、アナの記憶から『魔法』の記憶を消し去り、『楽しい思い出』の部分だけに書き換えて新たな記憶として戻します。
パビーの言うところの「頭を丸め込んだ」のです。
もしかしたら私達も、実生活で知らず知らずのうちに、他人の手や場合によっては自分の手で、「頭を丸め込む」ことがあるのではないか。そのようなことを思いました。
自分の本当の気持ち「心」ではなく、世間や社会の尺度に自分の「頭」を合わせていく。
そして、「心」より「頭」で考えたことの方を良しとして、あたかも自分の本心のように錯覚をさせてしまう。
このギャップが大きければ大きいほど、日々の生活の充実度や満足度が低いのではないか。
そのように考えました。
社会生活を送るうえで、世間や社会の尺度や価値観を考慮することは必要なことだと思います。
ただ、それを頭を丸め込んでまでやる必要があるのか。心に蓋をしてまで優先する必要があるのか。
それは冷静に、それこそ自分の頭で考えなければならないことなのかもしれません。
自分でコントロールできるようで、実は簡単に丸め込まれてしまう頭。そして、そう簡単に変えることはできない心。
心を無理やり変えることなく、頭を丸めることなく、どのようなバランスが自分にとって心地がいいのか、どのようなバランスでありたいのか。
その心地が良いバランスが「ありのまま」の姿なのかもしれないな、と。
丸め込んで蓋をしている気持ちはなんだろう
世間や社会の尺度や価値観を優先してしまい、自分の心までも丸め込んでまで他者を優先してしまう方。
そんな人に寄り添える人でありたいです。
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