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三十一文字・短歌・tanka

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歌誌の紹介や一首評など、短歌にまつわる記事をここに集めます。
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#tanka

短歌同人誌『柊と南天』第5号、5冊セットをお送りしています

短歌同人誌『柊と南天』第5号、5冊セットをお送りしています

塔短歌会の中の「昭和48〜49年生まれ」で作った会「柊と南天」では、同人誌を発行しています。2018年から2022年9月までで5冊。

たくさんの方に読んでいただけるよう、最初から販売ではなく配布をしています。私のBASE(丘村堂)でも実質送料だけでお送りできるページを作りました。

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A5判/48ページ
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出詠者
加茂直

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短歌の連歌に挑戦中 複数人で57577を回す

短歌の連歌に挑戦中 複数人で57577を回す

五七五七七の定型で完結する短歌。これを複数の人たちでつないでいく「連歌」という形式がある。

Aさんが「五七五」を詠み、Bさんがそれにつながる「七七」を詠む。Cさんがまた前を踏まえて「五七五」を詠み、Dさんが「七七」を詠むのを繰り返していく。18句や36句、100句、1000句などつなげる句数によって連歌の形式にも名前がついているらしい。

参加する人数によっても両吟とか三吟とか呼び名があるらしい

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『塔』 2021年4月号 新樹集に載った

『塔』 2021年4月号 新樹集に載った

入会したのが2012年、最近は欠詠してしまうことも多い中、初めて「新樹集」に載ることができた。自分のような詠み方でここに載るチャンスがあるとは予想していなかったので、素直に嬉しいです。

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モノクロのフィルムカメラを構えれば光と影と私ひとり

前髪の分け目を少し変えただけでもお茶漬けがとてもおいしい

年末と年始の文字が交じり合いながらうねってゆくツイッター

もう別のうちの子

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歌人49名の短歌51首をよむ、池田行謙さん『Easy traveler 01』が面白い

歌人49名の短歌51首をよむ、池田行謙さん『Easy traveler 01』が面白い

塔短歌会に所属、昭和48/49年生まれの歌人同好会「柊と南天」のメンバーでもある池田行謙さん。すでに第一歌集『たどり着けない地平線』(青磁社)を上梓され、会報誌でもコラムを担当しています。商業書籍とは別で、2017年には『Easy traveler 01』を自費出版されています。

自費出版、ZINE、リトルプレス。こういった冊子だと本人が詠んだ歌が載っているケースがほとんどですが『Easy tr

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池田行謙さん歌集『たどり着けない地平線』を読む会に参加しました

池田行謙さん歌集『たどり着けない地平線』を読む会に参加しました

短歌結社の一つである塔短歌会。その中でさらに、1973年・1974年生まれの会員で構成された会「柊と南天」があります。歌歴や入会時期はバラバラですが、同い年なのは共通点。昨年結成されて「柊と南天 第0号」を発行したのち、2回目の大きなイベントが今回の読む会でした。

著者の池田行謙さんも「柊と南天」のメンバー。2016年に第一歌集『たどり着けない地平線』を刊行されているので「柊と南天」主催で読む会

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ネットプリント歌誌 射手座短歌アンソロジー『半人半馬』一首評

ネットプリント歌誌 射手座短歌アンソロジー『半人半馬』一首評

まずネットプリントから説明したほうがいいかもしれない。今回のネットプリントとは、セブンイレブンやローソン、ファミリーマートなどコンビニの複合機からプリントアウトして紙の発行物を手に入れること。

事前にユーザー番号を教えてもらい、複合機を操作してその番号を入力し、その場でコピーの要領でお金を払って出力する。少なくとも電子書籍や出版より手軽に「紙」の発行物を出せる。

歌誌『半人半馬』には射手座短歌

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歌誌『柊と南天』第0号、昭和48/49年生まれの会から

歌誌『柊と南天』第0号、昭和48/49年生まれの会から

いくつか短歌の結社がある中で、塔短歌会は歴史があり会員数が多い結社の一つです。さらにそこから「昭和48年/49年生まれ」の会として発足したのが「柊と南天」。昨年11月発刊の生まれたて第0号をいただいたので、寄せられた5名の方々の歌から一首ずつ選んでみました。(掲載順)

題詠 虎
いつの日か虎になる日を夢見つつ牙を研ぐでもせいぜいトラ猫/乙部真実

トラ猫の身分を嘆く言葉が並んでいるものの、実

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日本語に飢えて短歌に出会う

日本語に飢えて短歌に出会う

短歌を始めようと思ったのは、中国へ語学留学している最中でした。毎日中国語の新出単語を覚えて、作文を書いて、中国のスーパーで買い物をして、中国語で会話して、という生活の中で無性に日本語に飢えていました。

留学したのは2004年から2005年。当時はちょうど「インターネット短歌」と呼ばれるムーブメントがあって、サイトを賑わせていました。それまで短歌のタの字も考えたことがなかったのに、そこでやり取りさ

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