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ただ「そこにある」のがありがたい

noteを始めたのはサービス開始直後の2014年だったと思う。新しいツールが出たらしい、テキストベース、マネタイズの仕組みも整っているらしい、そんな噂からアクセスしてすぐアカウントを作った。

大きな理由の1つは画面のバランスが美しいこと。出版やライティングの仕事をしている手前、フォントの大小や形、行間、見え方はとても気になる。入力時の使い勝手も莫迦にはできない。頻繁に使うツールこそ、その辺の「なんか違う」感は無視できない。

noteは、パッと見てそのバランスをクリアした。ガツガツしていないレイアウトで、同じ文字列でもちょっと良いことを書いたような高揚感がある。その感覚は今も変わらない。

ユーザーが増えた今、noteから発信する人も他のSNSでよく見かけるようになった。毎日更新する人もいる。でも私の場合、たぶん毎日更新しなくていいところが「noteをつづける」理由になっている。

noteはいつもネットのどこかで確実にあって、でもこちらを待ち詫びているわけでもなくて、ちゃんと必ずそこにいけばあるけど、だからといって存在を主張するのでもない。

自分は人間関係でもそれくらいの距離感がちょうど良くて、noteはツールとしてそれを体現している気がする。だから少し間が空いても気負いなく「また来ましたよ」と記事を書いてみる。急に続けて書きたくなったら、マガジンのようにひとまとまりにする方法も置いておいてくれる。

離れている間に何か押せ押せのリコメンドやリマインドがくるわけではない。でも振り返ったら確実にそこにはある。それがありがたい。

たぶんこれからもつかず離れずのまま、それでも継続して使っていくのだと思う。

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