ひとまとめから分業にしよう

親が少し体調を崩してから、初めて介護保険サービスのサポートを受けるようになった。正直それまでは「自分の生活とは無関係でまだまだ先のこと」だと油断していた。いざ必要になったときは知識ゼロ、病院のソーシャルワーカーさんや紹介してもらったケアマネージャーさんに一つずつ教えてもらって何とか環境を整えた。

おかげさまで今はホームヘルパー(訪問介護員)さんや訪問看護師さんがチームになって、親の日常を見守れる態勢になっている。離れた場所に住んでいるので必ず誰かの目が届くのはとてもとてもありがたい。

この体験で一番びっくりしたのは、介護サービスの仕組みが思った以上に完成されていたことだった。

まず最初にもらった介護サービスの案内冊子はそこそこの厚みがあり、後半はその地域で運営している介護サービス事業所のリストがぎっしり詰まっている。不勉強ながら予想では「地区で2、3カ所あるかどうか、選ぶ余地はあまりない」と思っていたので、その量に圧倒された。

訪問“介護”と訪問“看護”が別にあることも知らなかったし、在宅と通所という区別があること、通所でもいろんなタイプが設定されていること、事業所によって「できる内容/できない内容」がかっちり決まっていることもそのとき初めて理解した。

(それでやっと、福祉や介護の仕事を目指す若い人のニーズもわかった気がする。こういう職場で働こうとして勉強しているのだな)

ケアマネージャーさんの訪問を受けてサポート内容を決めるときは、料金体系や派遣できる人、できるサービスの違いを詳しく聞く。ホームヘルパーさんのサポートにも2種類あって、生活援助と身体介護では利用点数や内容が変わり、ケアマネさんが文書でしっかり計画して利用者も提供者も事前共有してからサービスが開始される。

最終的に我が家にはホームヘルパーさん・訪問看護師さん・言語療法士さんが週に数時間ずつ入り、とりあえず平日は誰かが1回親の様子を確認できるようになった。

もし家族が同じサポートをするとしたら、無理だ。

子どもたちは離れて暮らして、それぞれ仕事と日常がある。もし同居していたとしても全部を引き受けたら自分の時間が減ってしまうし、サポート作業をしない時間も気持ちが休まらないだろう。

親の生活に必要なサポートが100だとして、そのうち80や90を家族が賄っていたら絶対に潰れる。かといって誰か一人の介護サービス者が同じことを担っても、その人が潰れる。

そこを介護保険サービスはスパッと分業制と割り切って、それぞれの役割の人が10や20ずつ担当するようになっている。制度や規定によって決められた細かすぎるほどの分業制が、自分にとってかなり新鮮なシステムだった。

「そこまで分けるんだ」と感心するのと同時に「そこまで分けるからできるんだな」という納得。こんな仕組みが介護保険制度20年の間にかっちり出来上がっていて、知らない間に就職先の1ジャンルになるほど成長していたのだった。

担当する男性ホームヘルパーさんは30代後半、19歳からこの世界に入り、最近は自分で事業所を立ち上げてスタッフを集めている。20代の訪問看護師さんは地域の大病院を辞めて訪問看護の事業所に登録したらしい。もちろん任せられる業務は大変だけれど、自分の得意分野に特化した仕事だけになるのは働きやすいかもしれない。

分業は、意外といろんなことを解決できると思う。

例えば学校の先生。本来の「教科を教える」という役割に加えて「学級を運営する/部活の顧問をする/いじめや事件事故のトラブルに対応する/親のクレームを受ける/事務文書を作成提出する/校内設備のフォローもする」などなど、素人が思いつくだけでもいろんな業務が任されすぎている。

これを介護保険サービス並みに分業化したらどうだろう。

先生は授業に専念して、昔の用務員のような人が校内をフォローする。トラブルは警察やコンサルのようなところに任せる。事務だけを引き受ける職員を導入する。部活は地域でそのスポーツや活動に秀でた人に任せる。学校専属のソーシャルワーカーを置いて悩みはそこへ相談してもらう。

雇用は増えるし、専門的な勉強をした人は仕事で生かせる。もちろんお金はかかるけれど出す価値はあるはずだ。トラブル少なく勉強ができた子どもは社会に出やすくなるだろう。その人数は今より増えて、投資した金額以上の効果が得られると思う。

例えばコンビニの店員さん。モノを売ってレジを操作する以上の、あまりにも膨大な業務を任されすぎている。ここは「昔分業だったものが1カ所に集約された結果」なのだけど、コンビニ内で人を増やして分業化してもいいんじゃないか。もちろんお金はかかるけれど、モノの価格に多少は反映してもいいと思っている。お客にとっては1カ所で済むというメリットが享受できるのだから。

スマホの機能も、同じようにまた分業化させてもいい。これは個人ですぐに達成できる。写真はカメラで撮り、音楽は専用デバイスで聴き、本はkindleや紙の書籍にして小さい画面では見ない。昔なら指の肌感覚や動かし方が作業事に全く違っていたのに、今はツルツルした小さな面積内で終わってしまう。脳が受ける情報量もずいぶん変わってしまっただろう。これは元に戻したくなってきた。

今までは「すべて入った、オールインワン!」が惹句で、人もモノも集約させることが高価値だと思っていた。でももう無理が来ている。自分の周りだけでも分けられるものは分けていきたい。


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