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#はじめてのインターネット は京増メールとともに

授業のために大学生協でMacを買う

自分用のMacintoshを買ったのは1993年、大学2年のときだった。当時流行って新設された、メディア系学部の授業で使うことになったからだ。新設だったので学生にどの端末で教えるかも決定しておらず、まだ黒地に緑文字だったMS-DOSとMacintoshで迷って、教授たちは後者を選んだらしい。

学生たちは指定されたMacintosh Color Classicを大学生協で23万円くらいで購入。今思えばそれがインターネット生活の方向を決めたといえる。

買ったマシンのスペックは Motorola 68030で16 MHz、メモリは4MBを勧められるまま10MBに拡張、HDD容量は80MB。火曜日午前中の2コマが「情報処理実習」の授業で、そこで電源の入れ方から教わった。

「ここに電源があるので、押してみてくださーい」

ジャーン
ジャーン
ジャーン

笑い話のようだけどこの経験は侮れない。クリックやドラッグ&ドロップ、WordやExcelの基本、書類の保存の仕方、拡張子の意味、フロッピーディスクの扱い方までここで教わったから今があると思う。授業では「HyperCardを使って模擬の自動販売機を作りましょう」のような、簡単なプログラミング概念も教わった。

ただしインターネットのつなぎ方は教わらなかった。

NIFTYに入会、パソコン通信を始める

Mac系の雑誌を見ると、自分が買ったMacでも機材をつないだり設定したりするとパソコン通信というのができるらしい。

・入会すると電話回線でアクセスポイントにつなげられるらしい
・使った時間によって10円単位で課金されるらしい
・いろんなフォーラムがあって、パソコン上で人と交流できるらしい
・そのためには新しい機材がいるらしい

その頃は雑誌でも超初心者向けに事細かな設定の解説が載っていたので、読んでみれば何となく様子がわかる。これはやってみよう、と早速モデムというものを買ってみた。

2400bps、接続端子はUSBなんてなくて、30pinくらいあるコネクタだった。当時は「SCSI(スカジー)」と呼んでいたけれど正式には何というのだろう。とにかくネジでグリグリ固定して接続する大きな端子だった。

たしか附属するフロッピーからターミナルソフトを立ち上げて、ダイヤルアップポイントを設定したと思う。特徴ある「ピーーーーガーーーーー」という接続音が響いて、何かがプチッと始まった。

画面に勝手になんか文字が流れてくるよ! なんか挨拶されているよ!

無事に接続完了した旨と、ニフティの会社表記のようなものだったと思うけれど「どこか知らない遠くから、何か情報が来た!」という感動は覚えている。

当時のニフティは入会すると「入会ありがとうございます」という京増さんという方からのメールが届いた。ちゃんと「○○さん」という名前も出ていて、差し込み設定という技を知らない自分は「名前までちゃんとフォローしてくれるサービスなのか、なんて親切なんだろう」と思った。

…とここまで書いて調べてみたら、こんなサイトが見つかった。

えっ、ひょっとしてご本人が直接書かれていたんですか? 26年目の真実。みんなで「京増メール来た?」「うちにも来たよ」と言っていたあれは、もしや手作業で書かれていたの??

あの頃の試行錯誤のおかげで今がある

パソコン通信とインターネットは違うので、どこかでインターネットを始めた区切りがある。でもその境目は今思い出そうとしても思い出せない。

当時は新機種のHDD容量が増えるたび「500MBになった! 1GBになった!」と興奮していたし、モデムの速度も「今度は9600bpsだってよ! 14400bpsだってよ! 28800bpsだってよ!」とどんどん進化していて、新しいものが出たらとりあえずやってみるのが基本だった。たぶんインターネットもその「!」のうちの一つで、勢いの中で始めていたのだと思う。

ただし、初めての電子メールの思い出だけは残っている。パソコン通信で仲良くなった女性に送ったところ、返事が来た。「これがメールってやつか、早く返事を書かないと!」と焦っていたら、間違って消してしまった。

うわああ。

まだ会ってもいない、自分より確実に目上の人で、あちらから送ってくれたメールなのに取り返しがつかないことをした。うわああ。文字通り頭を抱えて悩んだ挙げ句、「申し訳ないのですがもう1回送ってもらえないでしょうか」という黒ヤギさんの手紙みたいなことを書いて出した。先方からはまた親切な返信が来た。よかった。

ニフティサーブの中では「テレビドラマフォーラム」の刑事ドラマスレッドによく出入りをしていて、オフ会にも行った。その頃松本で再放送していた『特捜最前線』や好きだった『ジャングル』の話をしていたので、みんな書き手は「30代男性」だと思っていたらしい。20歳の女子が出向くとまだ驚いてもらえた。

オフ会のつながりで東京の構成作家事務所でアルバイトをさせてもらったり、番組リサーチで大宅文庫で調べものをしたり、テレビ局に届け物をしたり、地方に住んでいた割には楽しい体験ができた。

90年代後半にはHTMLで書いたホームページを開設したり、他のサイトの投稿欄へ投稿したり、2000年代にはネット短歌のサイトに参加したりした。

投稿していたサイトの運営主だったイラストレーターさんとは、去年20年越しでお仕事をご一緒することができた。生まれて初めてのメールをくれた女性ともFacebookでつながっている。「面白いからやってみるか」とチャレンジしたことの多くは、今の仕事や生活に密接に結びついている。

先日NHKの『平成ネット史(仮)』を見ていたときも思ったけれど、振り返ると「当たり前」だったことは確実に歴史の一部になっていて、自分はその延長線上で暮らしているんだなと感じる。


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