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生活の中でちょっと引き算をする

振り返ってみると、1週間くらい前にこのツイートをしたときからずっと考えていた。

引用したツイッターはこちら。

そうだよね!たしかに!というのが第一印象だった。毎回見るし、電車以外でもあふれている。これで無意識のうち自分をどんどん「足りない奴」だと刷り込んでいることに気づいた。たしかに不足ポイントはたくさんある。ここに出ている脱毛も、英会話も、痩身も全然できていない。できたほうがいいだろうと日々うっすら感じている。

でも、この「できたほうがいいだろうとうっすら感じ続けている時間」というのは、正しい使い方をしている時間なんだろうか。実は考えなくてもいい、本来なら別のベクトルに向けるべきパワーなんじゃないだろうか。

一日のうちでどれくらい「できたほうがいいだろうとうっすら感じ続けている」ことに費やしているか考えてみると、意外とまとまった時間になる。

これらの広告が気になってネットサーフィンしている間は確実に囚われているし、自分よりスタイルが良い人の写真を見たら「しまった」と思ってしばらく頭に残っている。自分よりできる人の成果に出会ったら、やっぱり「うわあ、自分が足りなすぎる」と落ち込む時間がある。思い当たる節を全部足したら、想像以上の時間が該当しそうだ。

あまりにも自分を否定する時間が多いと悲しいので、これは一度「無し」にしてみようと思ってしばらく過ごしてみた。具体的にいうと、とりあえず今の自分を肯定し直す。

痩身の広告を見て「ああ……」と思っても「健康な今の状態で良し」と思い直す。英会話のスキル不足に気づいても「日本語で頑張ってるから良し」と思い直す。「ダメじゃん自分」と思った瞬間に「でもこれでOK」と考える。

最初は上書きし直すたびに現実逃避をしている気がして(実際やっていることはそうだと思う)その思考から否定しそうになったけれど、何回かやっていると脳みそも慣れてきたのか面倒くさくなったのか、「そうだよね、いいよね」のままで置いておけるようになった。

もちろんすべてを捨ててしまうと向上心もゼロになってしまうので、必要な絶望はある。でも生活の中から「うっすら自己否定」の時間は差し引いたほうが気楽に暮らしていけるのは間違いない。これくらいのちょっとの引き算ならいいよね。

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