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「モチベーションが」なんて言ってられない世界

再放送している『おしん』にハマっている。作られたのは1983年、これからバブルになろうかという景気上り調子の時代。その頃の私は小3で、ドラマをリアルタイムで見ていた記憶はあまりない。

今回の再放送で、実は乙羽信子演じる老おしんの回想がスタートだったことを初めて知った。老おしんの話を聞いている孫世代の大学生が、現代(昭和後期)の感覚を代表する構図になっている。

たぶん当時は「今は豊かになったけど、貧しい時代のこんな人たちが日本を支えていたんだよ」という啓蒙の意味合いが強かった。でもあれから35年以上経って、自分も働くようになって、改めて『おしん』を見ると全然違うところが気になった。

今放送中の小林綾子演じるチビおしんの時代は、厳しい奉公生活が描かれている。筏に乗せられて連れてこられた第一の奉公先「中川材木店」では怖い女中頭がいて、とにかく何かと怒られながら働くしかない。

7歳くらいの女の子が乳飲み子を背負って子守りをし、冷たい東北の川で洗濯し、朝も最初に起きてかまどに薪をくべながらご飯を炊く。「モチベーションが…」とか言ってられない。やらなければいけないからやる。

「おしんちゃん大変だな」と思いながら見ていて、最近の自分にはこの手の強制力がないことに気づいた。変な知恵をつけたばっかりに、何かをするときに「この意味は」とか「やる気を出すには」とか「効率的に済ませるには」とか、方法探しや言い訳が先に立つようになってしまった。

下手をしたら、立ち止まって意味を考えて納得してから動くほうがエラいような気もしている。おしんちゃんにそんな時間はない。だけど確実に手早く用事を済ませて結果を出している。

この「四の五の言わずにやるおしんちゃん方式」がベストな場面は、結構多いんじゃないか。「モチベーションを上げるには」とか「やる気を出す方法」なんて記事を読む間に済むことがあるんじゃないか。

家事は絶対そう。暮らすためにはやらなければいけない。だからやる。考える前にやる。

洗濯物が出る→洗う
毎日使う部屋は汚れる→掃除する
ご飯の時間が来る→作る

おしんちゃんの場合は「洗濯物を持って川に行く」「ハタキや濡れ雑巾を用意する」「井戸で水を汲んでおく、薪で火を起こす」などなど、最終工程に至る前の準備もたくさんある。

ドラマとはいえ、パッと仕事を見つけてパッと動くおしんちゃんを見ていると、腰の重たい自分でも少しムズムズしてくる。せめて家の中だけでも。

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