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ネットプリント歌誌 射手座短歌アンソロジー『半人半馬』一首評

まずネットプリントから説明したほうがいいかもしれない。今回のネットプリントとは、セブンイレブンやローソン、ファミリーマートなどコンビニの複合機からプリントアウトして紙の発行物を手に入れること。

事前にユーザー番号を教えてもらい、複合機を操作してその番号を入力し、その場でコピーの要領でお金を払って出力する。少なくとも電子書籍や出版より手軽に「紙」の発行物を出せる。

歌誌『半人半馬』には射手座短歌アンソロジーという冠がつく。その名の通り射手座生まれの詠み手による題詠と自由詠が並んでいて、壮観な眺め。射手座の時期の12月に発行、2013年から続いている。

知ったきっかけは塔短歌会の歌人、沼尻つた子さんのtwitterからだった。

山階基さんのレイアウトはとてもお洒落で、三十一文字が一行ずつ余裕ある棚に並ぶようにディスプレイされている。歌で参加されているのは、すでに歌集を出版されている方や歌壇賞を受賞された方など錚々たるメンバーなので、こんな記事を書いたら怒られてしまうかもしれない。でもここは勇気を出して、今年の題詠「的」と自由詠の中から印象に残った歌を紹介したい。

本当にかわいい子はミスコンに出ない 茄子にハマって茄子だけ食べる/武田穂佳

ミスコンと茄子の距離感が好き。人参でもなくバナナでもなく、スイーツでもなく茄子。ミスコンのようなハレの極と茄子というケの極が一度に提示されて、ケが勝つ。たぶんミスコン以外も話題に出しながら、どんどん茄子で上書きしている途中の気がする。

ゆうるりと解けてしまふ結び目の縁があつたらまた会へるから/飯田彩乃

ひらがなと語彙の柔らかさが残る歌。読みながら浮かぶのはしゅるしゅるとほどけていく紐と紐なのだけれど、最後に「また会へるから」の言葉で見えないところで一つ確実な結び目ができるようでホッとする。「縁があったら」の仮定形でも、いつかは会えそうに思う。

加トちゃんペ一人旅ですローカル線 僕だけ笑った電車は進む/宇津つよし

宇津さんは10年くらい前のネット短歌が流行っていた頃からお見かけしていた。いつも誰も思いつかない角度から言葉を紡いで、出てくる世界にびっくりする。この歌も「ペ」のまま脳内の電車が横方向へフェイドアウトしていって、こちらも笑っちゃったなと朗らかな気持ちになる。�

すでに射抜かれたる的なればをしまずに掲げてゆきたまへよ汝が顔/川野芽生

恋の歌と解釈したけれど合っているだろうか。恋でなくても当てはまるのかもしれない。射抜かれたことは誇ってよし。掲げてよし。ついネガティブに捉えてしまいがちだけど、それも自分。「ゆきたまへよ」の力強い声がけが読み手にも響いてくる。

つま先をキャラコの足袋へねじこめば偶蹄類の歩みを為せり/沼尻つた子

もし「偶蹄類の歩みってどんな歩み?」と聞かれても、明確に説明できる自信がない。でもこの歌を読むと頭の中には「偶蹄類の歩み」が立ち上ってくる。沼尻さんの歌はいつも日常から始まりつつ、少し違う世界を擦りながら戻ってくる。戻った場所が、実は元の場所と違うことも多い。

白菜のおほきひとつに刃をいれてたてに割るそしてまたたてに割る/花笠海月

他の歌にも共通しているのが、一つ一つの動作が穏やかで丁寧で確実であること。自由詠の一首目に置かれたこの歌はスタンスを代表しているように思う。横ではなく縦に割るのは気を遣う。それをくり返しくり返し。ひらがなの連続が無心な状態につながっていく。

突っ立っていただけだったと気づくとき待合室の壁迫り出していた/黑﨑聡美

前にある歌に「カルテ」とあるので、待合室は病院だと考えた。歌の中にはいくつも謎があって読み終えてからしばらくはその謎を反芻する。ずっと立ち続ける待合室とは、どんな事情によるのだろう。迫り出していた壁は何を象徴するのか。病院だけかもしれない、特別な疲れが染みてくる歌。

ふりがなをふられたる字のさみしさにもふりがなをふる、ようにふる 雪/白水ま衣

ふる、ふる、ふる、という音の連続が雪にかかってくる構成がきれい。あたかも黒い空から白いふわふわした雪がこちらに向かって落ちてくるのを、真下から見ているような景色。ただその中に「さみしさ」が潜んでいる。雪の下で口を開けていたらうっかり「さみしさ」も食べてしまうかも。

肩よりもひくい頭はどうもうでそのまま鍵を探し続ける/西藤定

夜更けに、息も荒々しく、カバンに頭を突っ込むようにして鍵を探し続けている絵が浮かんだ。「ひくい」も「どうもう」も漢字で閉じ切れないくらい理が飛んでいて、とにかく鍵を必要としている。どこか切羽詰まっているけれど、生命力は最高潮に達していると思う。

わくらばの馬の蹄につぶされて馬車に轢かれし命(めい)の不可思議/堀田季何

「わくらば」は「病葉」とも書いて病気や虫のために変色した葉。現代的な自動車やバイクではなく、同じように命ある馬たちに踏まれてしまうから意味が深くなるのか。でもこれは真の絶命ではなくて、循環したり還元したりして次につながる存在でもある。サイクルの一瞬を切り取った視点。

見上げればさびしくはない芸術(アート)とは自分に帰る尊いかたち/河嶌レイ

印象に残るのが「自分に帰る」というフレーズ。美術館や博物館でアートを見たあとは街を歩きながらも状況はあまり覚えていなくて、心は今受け取ったものと自分とを行ったり来たりしている。「尊いかたち」としたのは強いなあと思う。私の場合はまだモヤモヤしているかもしれない。

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言葉はいろんなフォーマットで発信できる。「こんな方法もあるんだ」と知ったのは大きな発見だった。来年の射手座の時期も楽しみにします。

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