ドイツから思わぬ「援護射撃」 - 「カラータイマー点滅」は一旦休止。

 今回の世界的な株価の大幅な調整。きっかけとなったのが、ドイツの第2四半期のマイナス成長だった。「米中関税合戦」の悪影響を中国への輸出の多いドイツがまともに食らった格好だ。そのドイツが「景気後退」に備えて500億ユーロ(6兆円相当)の財政出動を検討しているという。このニュースを受けて世界の株価は反発し、NYダウが26,000ドル、ナスダックが8,000ドル台を回復。「正常軌道」に戻り、とりあえずトランプ大統領もほっとしているのではないか。

 金利市場を見るとまだまだドイツの金利は低く、特に実質金利が-2%を大幅に下回っている状況 ↓ は突出している。「ドイツはもっともっと財政出動しても良い」という金利市場からのメッセージとも読み取れる。

 「損切丸」は転職して日本円の責任者に就く以前で、最も大きなリスクポジションを取っていたのがドイツマルクだ。だからドイツのマーケットや文化、歴史などについては相当研究した。「ドイツはもっと財政出動しても良い」と書いたものの、ドイツを研究をした者としては財政規律の緩みに対してドイツには強烈な反発があることはよく理解できる。今もギリシャなどと「EU基準」の財政政策で揉めているのは周知の通り。

 ドイツの財政、金融政策について、そのスタイルを決定的にしたのは第一次世界大戦後(1918~)のハイパーインフレである。当時は極端なインフレで、例えるなら朝1マルクだったパンが夕方には5マルクになるような状態。卵1個が3200億マルクとか1兆マルク銀貨が発行されたりしたらしい(拙著「お金のマニュアル」其の5「お金」って何?」編もご参照)。だからドイツの中央銀行であるブンデスバンクの政策目的は一にも二にも「物価の安定」なのである。「政府との意思疎通」を日銀法第四条に規定している日本とはまるで違う。極論すればインフレを押さえ込めるなら経済など後退しても構わない、ぐらいの強烈な自負である。

 ドイツの金利市場の出来事として最も記憶に残っているのが賃上げを巡る「労使交渉」である。当時ドイツマルクの金利も9%を上回っており物価上昇率も高かったが、賃上げ交渉の急先鋒だった鉄鋼労組「IGメタル」が、経営者側が提案する5%の賃上げに対し10%の賃上げを要求して一歩も引かなかった。お互いに歩み寄ってくるのかと思いきや、5%対10%のまま双方3か月以上譲らず長期のストライキに突入。動きが公務員労組にまで波及し、フランクフルトなどはゴミ回収も止まってしまった。労働者に強い権利を認めている労働法が基にはあるものの、「和の国」の日本としては考えられない展開である。ドイツ語の辞書には「妥協」という言葉がないのではないか、と本気で思ったものだ。(実際はKompromiss)

 ドイツ人の同僚とドイツ人気質について話すことがあったが、とにかくドイツ人は負けず嫌いで自分の非を認めない、という。多少話は盛っているのかもしれないが、目の前で車で人を引いても自分は悪くない、引かれたほうがそこにいるのが悪い、というような主張をするらしい。だから賃上げなどの交渉の場でも安易に妥協したりすることはまずない。ストライキを起こすのは当然の権利で、市民生活に支障が出ることなどは二の次なのだろう。

 マーケットの話に戻すと、最終的には労組側の要求に近い8%ほどの賃上げで妥結したため物価が上昇。ドイツでは景気減速の兆候があったにも関わらずブンデスバンクは利上げを決断するに至った。この後、ドイツが9%以上の高金利政策を維持したため、為替市場で「強すぎるマルク」が出現し、(筆者が英ポンドの100%金利でひどい目に遭った)英国のERM離脱に続き1992年の「欧州通貨危機」を引き起こした。

 その他にも、このドイツ人の頑なさが市場で数々の混乱を生んできた歴史がある。有名な出来事では1987年のブラックマンデー。これは同年2月に「ルーブル合意」によりドル安阻止で国際強調していたのにも関わらず、ブンデスバンクがインフレを理由に利上げに踏み切ったからだ、とされている(もちろんドイツは認めないだろう)。その姿勢が良いか悪いかは別にして、市場混乱の局面では日米に並びドイツはいつも主役級だ。

 良く言えば「鉄の意志」であり、ワールドカップサッカーであれだけドイツが強いのはそのおかげだと思う。ただ、EUを経て協調の時代に入った現代では、ドイツ流を押し通してばかりもいられないだろう。きっと本音を言えばECBのマイナス金利政策などとんでもないと思っているに違いないが、EU維持のために我慢を強いられている(おそらく他の欧州諸国のツケを払わされていると思っている)。今回の財政出動もそういった協調の流れの中からの苦渋の決断だと思うが、ドイツの実質金利の低さは財政拡大を促しているとも考えられよう。

 今思えば、筆者がECBに出張して日銀のゼロ金利政策についてプレゼンした時も食いつき方が半端ではなかったが、今頃デフレや銀行の収益を蝕むマイナス金利政策について、本当の意味で苦悩しているのかもしれない。「物価の安定」の定義が、インフレと放漫財政の抑制からデフレあるいはディスインフレの是正になってしまったわけだから。MMT=現代貨幣理論が正しいとまでは言わないが、財政政策について抑制的すぎるEU基準は、少なくとも欧州の現状とは整合的ではない懸念がある。

 ただ、これでさえも歴史上の1ページに過ぎず、真性のインフレが顕在化したときに何が起こるのかはまだ誰にもわからない。現在行われている量的緩和やマイナス金利政策は過去に例を見ない、壮大な経済学の実験である。一市民としてはできれば実験の犠牲者にはなりたくないものだ。

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