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洸稀さんにもう会えないとかまじで言ってる?

 最終回からもう2週間近く経っているのにいまだに洸稀さんへの思いを断ち切れずにいます。辛い。波瑠ちゃん演じる洸稀さんが可愛いすぎるあまり、私の全神経は完全にそちらに向かってしまい、毎話「えっぐ」としか発することができず…
 個人的に、推し補正を抜きにしても大好きなドラマだったのですが、具体的に何が良かったのか言語化できない自分がいました。そこでせっかくなので想いを文字にしたためるタイプのオタクになろうと、人生初note✌️
 このドラマを構成する要素は多岐に渡るのでなかなか全てについて考えようとすると難しく…コラムニストの方々を本当に尊敬しました。笑
(ガチの乱文失礼します、まあどのみち自己満だからいっか、そして文末が入り乱れます。)

こっち向いてよ向井くんをみて個人的に印象に残ったのは「対話の重要性」と「自分の欲に向き合うこと」でした。


対話ってなんだろう

 このドラマの根底にあるのは「対話」ではないかと思いました。このドラマによって明らかになった対話の重要性についてはもうこれ以上ないくらい語られていると思うのであえて触れることはないかなと思いつつ、というか対話の重要性について語ることはちょっと自分の手に負えないなと思ったので、個人的に印象に残ったポイントだけ。

目玉焼きは塩は?ソース派?

 私たちは「対話」と聞くとつい何か大きな価値観の違いをすり合わせることばかりに目が向いてしまう。しかし、私が印象に残っているのはこの二人はほんの些細な会話だったりする。例えば目玉焼きに何をかけるか論争であったり、おすすめメニューを聞くかであったり。「え〜それはないでしょ〜」とちゃかし合う2人はとても楽しそうで、人と違うということは面白い、そのことに改めて気付かされた。

なんとなく地獄から抜け出すには

 向井くんでは、確実に「なんとなくみんなと合わせるのやめてみない?」という提言がされている。でも8話で向井くんが言っていたように、世間の価値観や役割があるからこそそれが指針となって行動できるという側面もある。(それが良いか悪いかはさておき)だからこそ、漠然とした理想やゴールが剥がそうとする作業はとても苦しいものである。なぜなら、剥がした時に残るのは自分自身だからだ。 
 では、その自分自身はどうやってどうやって見つけていけばよいのか。そのヒントが、この些細な価値観の擦り合わせを楽しむという行動にあるような気がする。 

自分にとっての常識は誰かにとっての非常識

 自分にとっての常識が誰かにとっての非常識である、という事実に私達は普段あまり意識的ではない。でも、多分目玉焼きに何をかけるかとか、ほんの些細なことでも一人一人の常識は誰かにとっての非常識なのだと思う。洸稀さんと向井くんはお互いのことをちょっと茶化しながらも、ニコニコしながら目玉焼きに塩かけてみたり(結局向井くんはケチャップ派でしたけど)、おすすめメニューを聞いてみたりする。
 こうやってこんなに些細なことでも自分と他人ってこんなに違うんだ、しかもそれって案外悪くなくて結構楽しい。「これって自分だけなの?」という発見の積み重ねが「自分」というものの言語化への第一歩なのではないか。

身近な会話を対話だと意識すること

会話と対話の違いについて調べてみると

 対話とは、お互いの立場や意見の違いを理解し、そのずれをすりあわせることを目的に行うもの。それに対し会話には明確な目的やゴールがなく、ただ意見を述べ合うもの。

だそう。だから、私が今までつらつら書いてきた2人のお話も定義上で考えたらあくまでただの会話なのかもしれません。
 でも、一つ一つの相手との違いに興味を持って会話をして、それで新しい何かが発見できたらそれはもう対話と呼んでいいような気がします。(私のオリジナル解釈だけど)
 些細な会話を大事に楽しんでいきたいな〜と強く思いました。
 

「どうすれば良かった、じゃなくてどうしたかったが大事なんじゃないかな」


 対話の重要性とともに「自分の欲と向き合うこと」というのも徹底的に描かれている。「欲」というのはつまり、「自分がどうしたいか」である。第一話から洸稀さんは向井くんに「結局あなたはどうしたいの?どうしたかったの?」と何度も投げかける。
 「どうすれば良かった、じゃなくてどうしたかったが大事なんじゃないかな」
2話の最後に洸稀さんが向井くんにかけた言葉。私にも突き刺さりました。
 最初のうちはしどろもどろになっていた向井くんだけど、だんだん「俺ってどうしたいんだろう」というようなモノローグも増えていって、そして最後に「自分は坂井土さんに好きって伝えたい」という自分自身の「欲」に向き合うことができるようになる。

「自分の欲に向き合う」から「対話」が生まれ、「対話」するから「自分の欲に向き合う」ことができる


 対話の重要性について、他者との対話によって自分自身が見えてくる。と書いた。でも多分この「対話」と「自分の欲に向き合う」ということは循環しているのではないかと思う。
 洸稀さん、元気くんとの対話の中で、向井くんは「坂井土さんに好きと伝えたい」という自分の欲に向き合う。そして、伝えたことによって「困る…、けど私もこれからも仲良く一緒にいたい」と、洸稀さんとの対話が生まれる。「目に見える関係性」は変わらないかもしれないけれど、確実に2人の関係性は変化した。
 また、美和子との関係性もそう。美和子は向井くんと話し合いたかった。それを臆せずきちんと伝えていれば、向井くんとの間に対話が生まれ、美和子は自分が本当はどうしたいのかという自分の欲に気づくことができたのではないか。

抜け出せる迷子と抜け出せない迷子

 向井くんが最後のモノローグで言っていたように、人間みな迷子になる。向井くんにズバズバ言っていた洸稀さんだってままならなさを抱く1人だし、大学時代の友達(役名が思い出せないけど)も、カッコよく生きる女性として描かれていたと同時に、そこに至るまでの苦労にも言及されていた。
 でも、最初の頃に向井くんが陥っていた迷子とは若干異なっていると思う。向井くんは幻みたいな「幸せ」をゴールに設定してしまっていた。しかし、最後自分でも気付いていたように輝かしいゴールとしての「幸せ」なんて最初から存在しない。存在しないゴールに向かって走っても、辿り着くはずがない。
 
 生きている中で悩みは尽きることがない。だけど、漠然とした正解や理想に捉われることなく常に「自分はどうしたいのか」ということを問いかけることでしか、前には進めないのだと気付かされた。

2人の行く末

 ここまで書いてみて、ようやくなぜ自分があれほどまでに、最終回の最後の展開に感動したのかということに気づくことができた。
 今までの向井くんだったら、自分の好きな女性とは「付き合う」ということが「正解」と考えいただろう。そして「付き合ってください!」と言っていた気がする。しかし、「自分がどうしたいのか」という問いに向き合うことで、その「正解」とは逸脱した、でも自分を主語にして考えた「正解」を出すことができたのだと思う。ここに向井くんの成長を感じ、私はとても感動したのだ。
 他の登場人物、まみも美和子も、洸稀さんだって、「自分はどうしたいか」に向き合うことで笑顔になるラストだった。

「こっち」って「どっち」?

 最後までドラマを視聴して「こっち」とは「自分」と「相手」のことではないかと感じた。
 1人で生きている人間はあまりいない。基本的に皆人との繋がりの中で生きている。この社会の中で「自分と向き合うこと」は「相手と向き合うこと」で、「相手と向き合うこと」は「自分と向き合うこと」なのだろう。

終わりに

 書けば書くほど書きたいことが溢れてしまい、全然書ききれてません…洸稀さんにも全然触れられなかった〜(というか洸稀さんについて触れようと思うと語彙力が低下し、全く何も書けなくなる)
 ということで最後に洸稀への熱量をぶつけて終わりたいと思います。✌️(今まで以上に稚拙な文です)

 もう、ほんっとうにずーっと可愛かったですよね!!!!!!!!!!!!!!私は毎話咽び泣いていました。なんでこうも私の推しは尊いんでしょう。キャラクターも演技もどタイプでした。結婚したい。最近気を抜くと結婚したいと思ってしまいます。困った。
 波瑠ちゃんの出演が決まる前の時点から、この実写化は面白かろうということで漫画を読んでいたんですが。「洸稀さん、、、、恋、、、、、」
 私は三次元の女が好きなので今まであまり漫画の人物に萌えるという感情がよくわからなかったんですが、もう漫画を読んだ時点で「この女…どタイプすぎるぞ」と思っていたんですね。私はギャップにめっぽう弱いタチでして、「こんなさっぱりしててズバズバいうくせにちょっとお茶目で自分はワンナイトしちゃった会社の上司にマジにならないように胸のときめきを抑えてるって何事…??え??私のためにこの世に爆誕したキャラクターでは?」とか思っていたんですね。髪短いし、この役はもう、ね?我が推しにぴったりじゃんとか思っていたのですがはやみんだったので完全に可能性から消して、誰がやるのかな〜とか楽しみにしてたんですよ。そしたら!!!なんかティザーでサクッと情報公開されてるし!びっくりしすぎて電車来てるの目の前で見逃しましたもん。

洸稀さんの魅力

 洸稀さんの素敵なところは…ありすぎて一言では纏められないのでまず環田さんとの関係について書こうかな。
 洸稀さんと環田さんの関係、私は何が危険なのかあんまりわからなかったですね。おそらくドラマだけだと環田さんの魅力が市原隼人さんに任されすぎていたような気がします。(だから好みが分かれたのかな)漫画ですと、色気はありつつ、なんというか大型犬みたいな可愛さも感じられるキャラクターと作画だったため、洸稀さんがかんださんにぞっこんなのに個人的にすごく納得していた状態でドラマを見ていたのであまり違和感を抱かなかったのかな。

洸稀さんという人

 洸稀さんは自分はどうしたいのかということを自分自身の中で明確(とまではいかないけど)に言語化できている人物として描かれていました。
 自分がどうしたいか、ということを常に考えているからこそ他人にも「あなたはどうしたいの」と問いかけます。自分はどうしたいのか、という視点が欠けていた向井くんからしてみればこれは革命だったのではないかと思います。
 自分の意見がある人が、自分の意見がない人に詰め寄る構図なのに説教臭くないのは、もう波瑠ちゃんのなせる技なのかな。または、洸稀さんが自分の寂しさや、虚しさにも正面から向き合っていることによる、共感というか。
 思考停止ではいけないよ!!とお尻を叩く厳しさと、相手の心の隙間に寄り添う(寄り添うというか、自分の中の隙間も見せること)優しさが、本当に魅力的だったと思います。自分のネガティブな感情にもしっかり向き合うと人に優しくなれるんですね。

お衣装

毎話本当にお衣装可愛かったですね。
私の好きな洸稀さん置いておきます。

トップスの色味、生地の薄さ、パンツの形とボタンの多さ
肩が空きすぎたシャツ、透け具合
首まで詰まったピタッとニット、この形のパンツ似合うのすげぇ
ピタッとした赤いニット


好き


本当の終わりに

  
 もっと色々書きたいことはあったんだけど、書いているうちに訳がわからなくなりそうなので。とりあえず今日の目標は公開してみるということだったのでもう公開しちゃいます。







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