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女子校をこじらせて

女子校というダークサイドに堕ち、今もそれをこじらせている話をしようと思う。

もちろん、女子校でも青春をきちんと謳歌している人はいるし、個人の問題ではある。しかし、日常を女子だけで暮らすわけだから、思考回路はだいぶ偏っていく。

断食中に食べたいものが脳裏にチラついて消えない感じ、久しく食べていないものが美化されてしまう感じ。そう言ったら伝わるだろうか。

このnoteを書くきっかけをくれたのは、
サカエ コウさんのnote。

こんな、天使なんかじゃないみたいな世界が現実にあるなんて…と羨ましくてクラクラした。

それから、初めは女子校ダークサイド全開の話を書いてみたけれど(理科室でみんなでエロ本を読んだとか、友達がカーテンの裏でナプキンを変えてたとか)下品が過ぎるので割愛。悲しみしか残らない。

少しくらいは恋の話をしようと思う。
私が初めてデートらしきものをしたのは、高校3年の夏だった。真夏の、モスバーガー。

モスがデートに入るのかは心配だけれど、田舎なんだからしょうがない。うだるように暑い日、彼と駅で待ち合わせて、モスまで歩いた。

彼の服装は普通で、確かTシャツとデニムだったと思う。少しほっとして、でも手に巻いてるリストバンドみたいなものがなんかダサいなイヤだな…と悶々としながら歩いていた。

私は彼が好きなのではなく、デートをしている自分が好きだったのだ、残念ながら。

友達の紹介で携帯を交換して、まだ会うのも2回目くらいだったと思う。当時の携帯はj−phoneで、二つ折りですらない。小さな液晶画面から、豆のキャラクターを送り合う世界。どんな世界だよと思うが、おかげで私はボロも出さず、彼にも失望せず、ちょうど良い恋愛ごっこを継続できた。

彼は私より20センチくらい背が高くて、黒く焼けて、筋肉がついていて、野球部だった。女子校育ちの私にはよゆうで好きになれるスペック。

好きになれる、というのは上から目線ではなく、誰か好きになれる人を見つけることに必死だったから、順番があべこべだった。

学校には、40代・50代の既婚の先生に本気で恋する友達も結構いて、女子校の恐ろしさを日々感じていた。優しくされるとすぐに好きになってしまうのだ。

好きになる、ということが分からなかった。異性ならほとんどドキドキしてしまうから、緊張か好きかの選別ができない。誰でもだいたい好きということになってしまう。

これか!!と本当に恋らしきものをするのは大学に入ってからだったし、自分から本気で好きになった相手と付き合えたことは正直一度もない。好きになればなるほど、暴走しすぎてこっぱみじんに振られてしまう。

これは私見だが、女子校育ちは飢えて押しまくるタイプと、完全に待ちの姿勢で偶像崇拝に走るタイプのどちらかに分かれる。稀に、どんな異性とも普通に過ごせる人もいて、そういう人は例外なく男兄弟がいる。

話が逸れたが、私たちはふたりでモスバーガーに行き、彼はポテトとコーラを、私はウーロン茶を頼んだ。お腹はとても空いていたのに、口を開ける自信がなくて、ウーロン茶を飲んだ。そう、私は異性の前でご飯が食べられないという、最終局面を迎えていた。

もちろん、会話は盛り上がらない。私は緊張で何を話していいかわからないし、彼は天然で割とおとなしい人だった。

それでも私たちはその後も会い、当然のように付き合うことになった。小さな携帯でやりとりし、原付を2人乗りしたり、花火を見に行ったり、親に嘘をついて外泊したり、恋愛らしきものを順番にこなしていった。今思えば全然合っていないのに、なんだかんだで大学に入ってからも続いていた。

彼の気を引こうとして、感情的な喧嘩もたくさんした。うんざりした彼が冷たくなり、2年ほどで別れたが、なぜか社会人になった年に会いにきてくれたことがある。

その頃には男性にも慣れ、女子校こじらせ期はほとんど終焉していたから、久しぶりに会って心底びっくりしてしまった。

あまりに会話が遅くて、元気がなくて、気遣いもなくて、あれ?私この人と本当に付き合ってたんだっけ?と混乱した。

混乱した後、当時たまに飲みに行ったりしていた人と出かけたらすごく良く見えて、反動で付き合いはじめた。それが今の夫だったりする。

人生のドミノ倒しはどこでどう繋がっているかわからない。女子校をこじらせて遠回りもしたけれど、結局女子校って最高だし、女子校育ちの人は他人とは思えないし、こじらせているおかげで私は夫が大好きだ。

#ファーストデートの思い出 #恋 #エッセイ #女子校 #高校生 #夫婦

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