与えることは、奪うこと

私はせっかちだ。
子どものことにも、すぐ手を出してしまう。

娘が「これ開けて」と何か持ってきたらすぐ開けてしまうし、息子の口の周りについたベタベタだって、本人が気にする前にティッシュでふき取ってしまう。

この間、保育園の先生に
「〇〇くんは、何かこぼしてもそのままじーっと待ってますよねえ。可愛いなぁ、ってついしてあげたくなっちゃいます」
と言われて、やっと事態の深刻さに気付いた。

息子のことが可愛くて、なんでもやってあげると、息子は何にも出来ないマンになってしまう。いや、もうなっている。

へっくしゅん!とくしゃみをして鼻水が垂れたときだって、彼はティッシュを探すこともなく無表情で誰かが拭きにくるのを待っている。むしろ垂れないように銅像のように固まってしまう。拭いてあげることは、自分で工夫して処理する、という行動を奪っている。

また、ある時「もう、家の中っておもちゃだらけになるじゃない?」とママ友に聞かれた。我が家は、確かにぐちゃぐちゃだけど、工作類が主だ。なぜなら、おもちゃがあんまり無いから。

「え、おもちゃないの?じゃあ何して遊んでいるの?」と聞かれた。彼らは秘密基地を作ったり、あるもので工作したり、本を読んだりしていることが多い。そうか、単純にケチで買い与えてなかったけれど、それによって得ている工夫もあるんだと思った。何にも与えないことが、自分でおもちゃの代わりを創りだす力を与えている。

与えることは、奪うことだ。
でも、与えないことが、必ずしも良いとは言えない。

私は子供のころ漫画が好きすぎて家で読んでばかりいたら、怒り狂った母に破り捨てられたことがある。以来、なんとなく漫画はあまり続けて買ってはいけないのだとトラウマになったけれど、もっと漫画に囲まれて暮らしていたらどんな人生だったのだろう。そう思うと、奪われたようにも感じるのだ。

本当に好きなもの、世界が広がるものは、できるだけ与える
思考や行動(工夫)のチャンスを奪うものは、できるだけ与えない

この判断軸で考えると、ちょっとだけわかりやすい。
ラクをしようとやってくる子どもたちには、般若の顔で「与えない」
世界を広げようとわくわくしている子どもたちには、モナ・リザの笑みで「与える」

こうして書いてみると、子どもたちだけでなく私たち夫婦も同じか。ラクばかりに目がいっていないか。世界は広がっているか。
時間もお金も、目の前の浪費がどちらに当てはまるのか、考えるようにしたい。

#日記 #日常 #子育て #育児 #家族 #もっとお金の話をしよう

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