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「コイツ使えないな」って思われることが怖いのかな?

この4/1に転職してからというものの、新たな環境に慣れることに精一杯の状態が続いています。そのため、まだ十分に自分らしく振る舞えていません。現状、不安とまではいかないものの、常に若干のもどかしさを抱いて過ごしています。

例えば「コピーをとる」という作業でも、機種によって操作も変わりますし、用紙切れを起こしたらどこにストックかあるのかすらわかりません。

誰か呼んでくるにしても、名前と顔が辛うじて一致し始めたかな?という状態のうえ職場内のどこに常駐しているのかを把握できていないので、探し出すのも一苦労です。

そんな状態で手伝ってもかえって足を引っ張ってしまいそうで、なかなか「わたしがやります!」と言い出しにくい場面があります。


この言い出しにくさの原因はどこにあるのかと考えてみました。

恐らくわたしの場合は「コイツ使えないな」と思われることを恐れているからではないかと分析しています。

「使えない」とは「期待した通りのパフォーマンスを発揮してもらえない」「期待した通りの結果を出してもらえない」と相手が感じて、がっかりしてしまうことを指します。そうなんです。「がっかりさせたくない」んですよね・・・


じゃあ逆の立場だったら?と考えると、がっかりするよりも今回できた部分に目を向けて助けてもらったと感謝することの方が圧倒的に多いです。

事実、この一週間程度でも何度も「ありがとう」と言われてきました。「今できる最善の行動を」と率先して力仕事に面倒な仕事、いわゆる雑用や庶務をこなしてきました。できることは限られていても、そのできる範囲のことに全力を注ごうと意欲的に動いているからこそ、周囲も感謝の言葉をかけてくれるのだと理解しています。


な・の・に!
どうしても「コイツ使えない」「がっかりさせたくない」という気持ちが強く働くんですよね・・・


ここには小学生時代の失敗が関係しています。

小学校6年生の時に、とある委員会の委員長を任せられました。
当時の担任が期待を込めて割り当ててくれたのだと思いますが、わたしはその期待を大きく裏切るような失敗をしてしまいました。
そこからどうも顧問や担任から「安心して任せてられない」という印象を抱かれてしまったようで、わたし以外の委員たちと先生とで確認する場面が増えていきました。それを見て自分の居場所をなくしてしまったように感じたわたしは、委員会を避ける気持ちが強くなっていきました。

そして委員会にとって大事なイベントの前日、わたしが学校を休みました。おなかが痛いと言って仮病を使って休んだように記憶しています。
その日、学校でいったい何があったのかはいまだに知りません。知ろうともしなかったですし、知ったらますます自己嫌悪に陥るので現実逃避したのだと思います。
でも少なくとも、担当顧問の先生と副委員長たちが奔走して、イベントを実施できるように動いてくれたはずです。だから結果として、イベント自体は大きなトラブルもなく実施されました。
わたし抜きでみんなが協力して進めている姿を、遠くから呆然と見ていた記憶があります。

このときわたしの心に刻まれたのが、「コイツ使えない」と思われたら人から嫌われてしまう、はじかれてしまうという捉え方です。一度でも嫌われたら終わりです。もう二度と、それを挽回するチャンスは回ってこないと考えるようになりました。

だから無理をして何かに挑戦することを避けるようになっていきました。小学校6年の後半から中学2年までの間は、本当に人の期待に応えるのが嫌で嫌で仕方なかったのだと思います。
人の期待から逃げることで、がっかりされて自分から人が離れていくことを避けようとしていたのでしょうね。

その後、少人数の部活だったため中学2年で部長を任されたり、中学3年生では再び委員長を任されたりと、自分にとっては白羽の矢が立つ様なことが続きました。
でもこのときは以前のような大きな失敗はしなかったですし、十分とは言えないものの期待に応えようとがんばったことを先生が認めてくださって、少しだけ自信を回復したことを覚えています。


いまにして思えば、先生の立場として当然のフォローだったでしょうし、仮病だったとしても学校を休むほどプレッシャーに感じていたことを温かく見守ろうとして、あえて大変な役回りは与えなかったのだと捉えることができます。
また、このイベントでの活躍ができなかったとしても、別の機会にまたチャンスを与えようとしたでしょうし、成長の機会をつくろうと気に留めていたと思います。

でもその先生の愛情を理解しようとせず、ただ目の前のことから逃げようとばかりしていた小学生時代のわたしは・・・結局、いまでも引きずるようなものの捉え方を心の奥底に刻み込んでしまいました。

素直にごめんなさいと謝れたら、自分にはできないと言えたら、きっと怖さは感じない人生を歩んでいたのでしょうね。


でも小学生時代の自分は、いまのわたしにとって反面教師になっています。怖がる気持ちも痛いほどわかるし、人が離れていく恐ろしさを知っているからこそ人との付き合い方が上手になれたのだと思うんです。

いまの自分をつくったのは、間違いなく過去の経験です。だからこそ、経験から自分を捉え直す力が必要なんでしょうね。


はてさて、明日の自分は何か今日より一つでもできることを増やして、誰かの役に立つことができるでしょうか?

そのために目の前のことに全力で取り組んで、一日も早く最低限の仕事ができるような存在になりたいと思います。そのためには組織理解と業務理解、そして周囲の人の理解を深めていく必要がありますね。
さあ明日もがんばろう!




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