大河原健太

絵描き。 木版画、シルクスクリーンなど主に版画技法により作品を制作中。 2017年に故…

大河原健太

絵描き。 木版画、シルクスクリーンなど主に版画技法により作品を制作中。 2017年に故郷福島県にアトリエ、「柊スタジオ」を設立。 俺は、残された時間で何ができるのだろうか。 絵本作りました→http://okawarakenta.tumblr.com/goods

最近の記事

小腸の星座

改造された窓からの景色は面白くもなんともなかったけれど、 時間は確かに刻まれていた。 正確かどうかはわからないけれど、変化だけは感じることができた。 それは小腸の星座が、季節とともに見えたり、見えなくなったりするように、ゆっくりと回転していたのだ。 体の内側にめくれるように潜り込み、 寝そべってみていた。

    • 待つことの湿度

      いつか届くはずだったTシャツ。 結果行われることがなかった運動会。 待ち続けていた。 昨日行われたことが明日に行われず、 明日に行われることは昨日終わっていたかもね。 間違えたことがあるとするならば、 それはきっと6月。 わたしは君を待っていたし、 待たせてもいたと思う。 半分先の未来を、焼き芋を齧りながら考えている。

      • 鉛筆の尖り方

        みたこともない削り方で鉛筆を削ったら、どんな絵が描けるのだろう。 この世界に見たこともないものはあるのだろうか? 音楽と野菜のはざまで、文字同士が衝突しているような気がした。 あのときのあの人と、ぼくはどんな話を、したのだろうか。 思い出そうとすると、全てをひらがなにしたくなる。 砂漠と山の稜線の関係を思いながら 昨日と17年前を思いながら 死んだ月を思い出している。

        • わからない

          昔の日記を読み返してみると、とても面白かったので。 未来の自分へ。 最近は、自分でも価値観がちょっと変わったと思う。 今までは、自分の環境をどう整えるかだったのが、周りのことを考え流ようになった。 誰もが何かに関係している。 誰にも会わなかった日にも、何か食べたり、動画見たりする。 誰かの仕事が、自分を生かしている。 これって結局、生かされていると同じことだ。 そう生かされてる。死のうと思わない限り。 考えていくと、ただ当たり前のことが、当たり前に起きる。

          Offになるとき

          ここにいながらここにはいない 暗くなる速度と同じように 魂の瞼を閉じる 言葉は言葉のまま、固まった絵の具のように そのままそこにある 時間と空間が、混ざりながら タンパク質を分解する これを毎日繰り返している 不思議なことに黄色から青色へ向かう振動と全く同じ軌道を描いて 僕もここにいる 46階建てのビルディングぐらいあるスキャナーが、心の中にもあることを 全く忘れていたのだ 本当に、全く忘れていた

          Offになるとき

          アパート

          あの人のアパートに、忘れていった飲みかけのペットボトル。 そのことを思い出してみてから、そのときにおいてあった机の色と木目のことを考えた。 考えている時に目に映っていた楽天のバナーを、 クソみたいだなと思った。思うことを思い始めたのはそのあたりからだった。 光をみながら、光を発して、アパートに届くことを思った。

          巨人

          おれが巨人だった頃の記憶。 言葉は色とかたちに分かれていて、おれの友達は色とかたちを聞いていた。 シコーというおれの友達は、おれの話が好きで、よく水色と黄色の丸いかたちを聞かせてくれた。 ときどき眠れない夜は、ピンクとうすい紫が混ざったような色を、話すでもなく、聞くでもなく、見るでもない、なんとも言葉にしずらい行為でやりすごした。 例えるなら、走りながら疲れず、過去の景色の中にいるような。 そうだ、「いる」という言葉が似ていると思う。 昔巨人だった、おれの話。

          隙間から声

          まあ待て、まあ、待て。 一人夕飯、米粒の隙間から、聞こえた。 気にはなったが米粒を食いたかったこともあり、無視して米を食い続けた。 くしゃみがでるぞ。と。 明日は雨降りだぞと。

          森の魚たち

          薄暗い朝、森の魚たちがまだ眠る時刻。 移動の速さは色によって伸び縮みして最後には8つの方向に分散して分かれる。 食事はカレーライスとたくあんと相場が決まっている15回目の夜は、 月の満ち欠けと胃袋の縁が連動していた。 早すぎることなどないと、森の魚が教えてくれた。

          森の魚たち

          夏にまた

          格子状のカーテンのようなタマゴの殻が、薄くある。 数を忘れたように見える鳥は、羽毛の突起によって数を作っている。 グラスの氷が46%溶けた夏にまた、子供達が肝試しに向かう。

          蜘蛛

          今、まさに昭和58年の夏に。 野菜の輪切りは垂直に切るとまな板を転がってしまうことが発見された。 斜めに切ることを是とされて以降の夏は 蜘蛛がたくさんでるようになったらしい。 でも安心してほしい、それはあなたが思い浮かべるおそろしい姿ではなく、 レモンの粒ほどの、思わず挨拶してしまいたくなるようなヤツだ。 昭和58年の夏以降、空の位置は高くなり、蜘蛛はかわいらしくなった。

          あのときの温度

          わたし、わたしだったの。 私はたしかに私だけど、私を私だと思っている私を判断する私はどこにいるの? 8月25日の私は、暑いの。12月25日の私はきっと寒い。 それは私なの? カーテンがない、部屋で。

          あのときの温度

          粘り気のする汁、首に。

          整えた先で、何かに当たったような感触を持ったまま 風の行く先を探してる。 あなたはそこにいるのでしょうか?そこにいるかそこにいた人。 おそらく、グラスの破片が同じにはなったことはないだろう。 1ページは横から見たら高さになった。 粘り気のする汁、首に。

          粘り気のする汁、首に。

          spacetime reflection 2020年7月21日

          spacetime reflection -March forest- 花札の3月がモチーフ。 制作していくうちに、光と、桜と、幽霊が際立って来た。 なかなか完成のイメージが掴めず、長期戦にもつれ込んだ思い出がある。 どういう状態が、完成なのだろうか? ただ単純にレイヤーを重ねていけば良いわけではないんですね。

          spacetime reflection 2020年7月21日

          spacetime reflection 2020年7月18日

          feburaury_plum(2月の梅) なんか掴めた感じがした1枚。 色々作品について振り返っていて、作ってる時は全然言語化できないんだけど、徐々にわかってきたりする。当時つくっていたものが、一言で言えたりすると嬉しい。 ある本を読んでいて、「三次元に関係従属しないもうひとつの’線’」という言葉が引っかかった。 それをアレンジして、「三次元に関係従属しないもうひとつの’空間’」とすると、このシリーズ作品の目指していた方向が見えて来そうな気がした。 反復可能な版を、

          spacetime reflection 2020年7月18日

          spacetime reflection 2020年7月17日

          Reflecting Spacetime -January crane- 2019年の10月ぐらいに作った作品。 見たことがない空間を表現して見たくて、試行錯誤していた中から生まれた。モチーフは、 花札。この作品は1月。 昔から正月家族で遊んでいるこのなじみのカードゲームを元にして、空間構成をしようと思ったことがきっかけだ。 12枚シリーズの最初にできたこの作品。はじめはシルクスクリーンが重なる透明感が新鮮で、現実世界じゃないみたいな空間ができたような気がした

          spacetime reflection 2020年7月17日