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BUMP OF CHICKENの影響で「後ろ姿の写真」を撮るようになった話

最近、「憧れ」について考えることが多い。

特に何かがあったわけではないが、人生を歩む上で誰かに憧れた経験というのは、特に若い時代において大きな影響を与える。

先日、こんなラジオを録った。

この中でも、ちらりと触れているが、僕は人生の中で人に憧れた経験というものがほとんどない。

しかし、この人たちみたいになりたい!と強く思った経験はたしかにあって、そのうちのひとつはロックバンドのBUMP OF CHICKENである。

14歳の時に、WOWOWの無料放送枠のミュージックビデオを流すコーナーがあって、そこで流れた「車輪の唄」のMVを見て、号泣してしまったことをきっかけに、人生観を形づくるほどの強烈な影響を受けた。

映画か小説か何かで「14歳の頃に聴いていた音楽に人は生涯影響を受け続ける」みたいなセリフがあったような気がするけど、僕にとっての最初のそれは、紛れもなくBUMP OF CHICKENだった。

「後ろ姿の写真よく撮るよね」と言われた

話は変わって、先日イタリアンを友達と食べに行った時にこんなことを言われた。

「せっちん丸って、いつも後ろ姿の写真撮ってるよね」

ハッとしてカメラロールを確認してみた。

はちゃめちゃに撮っとる。

ざっとカメラロールを確認しただけで、少なからず50枚以上の後ろ姿の写真を撮っていることがわかる。
なんなら過去のnoteの写真も後ろ姿ばかり。
これだけで写真集が出せるレベル。出したい。

「なんで後ろ姿の写真撮るの?」って聞かれた時はだいたいこんな感じのことを答えた。

・横並びの後ろ姿には、それぞれの関係性がなんとなく表れる
・後ろ姿には、その日その時、自分が彼らとそこいたことを表す思い出の証明になる
・割と写真映えする
・前からの写真よりもみんなが構えず、自然な空気が表れる
・前からの写真はみんな撮るけど、後ろ姿を撮る人は少なくて希少価値が高い

まあ、なんとも左脳っぽい回答だ。

しかし、先日Spotifyに解禁されたBUMP OF CHICKENをシャッフルで聴いていたら、こんな画面が表示された。

おわかりいただけただろうか?

ルーツ完全にこれや。車輪の唄のジャケットや。

ルーツというのは、思わぬところで顔を出すもので、こんなにサブリミナル的に「後ろ姿を撮る理由」のバチッとハマるアンサーが出てくるなんて思いもしなかった。

人生で一番大きな影響を与えたといっても過言ではないBUMP OF CHICKENの、一番好きな曲のCDジャケット。

CDを聴かなくなって長いこと忘れていたけど、このジャケットが大好きだった。

車輪の唄に「約束だよ 必ず いつの日かまた会おう」なんて、歌詞があったけど、またこうやってあの頃の自分とバンプに出会えたことをとてもうれしく思った。

人は、食べたもの、飲んだもの、出会った人、聴いた音楽、自分が体験したことしか形にすることはできない。

それを実感した出来事だった。

こちらのインタビューで藤くんがこんなことを語っている。

「自分は漫画にもアニメにもゲームにも一人で触れてたし、そこから得たものは自分一人の宝物だった。音楽もそうでした。ラジオやCDから聞こえてくる声と一対一の関係性で育ってきた。だから自分が曲を作って歌う時も、その感覚が強いんですね。レコーディングのブースで歌っていても、3万人がいるステージで歌っていても、歌う先には明確に“あの日の俺”みたいなヤツがいるんです」

ここで語られている“あの日の俺”は完全に、“あの日の僕”だ。
そして今の僕にもこうやって影響を与え続けている。

一緒に見た空は忘れても 一緒にいたことは忘れない

あの頃14歳だった僕も、いつの間にか倍の年齢の28歳。
バンプは28歳のころ、「ガラスのブルース(28 years around)」という、最初の曲をセルフカバーした曲を出していたけど、いつの間にか当時の彼らと同じ年になった。

セルフカバーするような代表曲もないし、藤くんみたいに人の心にのこる物語を書くこともできていない、増川くんみたいにギターも弾けないし、チャマみたいに無邪気に何かを生み出すことも難しい。秀ちゃんみたいなヒゲは生えたけど。

でも、ダメダメながらも一生懸命生きている。これだけはたしかで、それでいいとも思っている。だって僕はBUMP OF CHICKENではないから。

あの頃抱いた憧れは少しずつ姿を変えて、最近はバンプに対して、出会ったことはないけど、長く一緒にやってきた十数年来の友達のように感じている。

さっきのインタビューの中で、ニューアルバム「aurora arc」のジャケットの写真について、藤くんがこんなことを言っていた。

「オーロラは、自分の日常とはかけ離れた『いつか見てみたい』と思うものの一つでした。特に僕ら4人はゲームが好きで、みんなでよくやっていた『桃太郎電鉄』シリーズの『桃太郎電鉄USA』でイエローナイフという町を知っていたんです。『あそこに行けばオーロラが見えるんだな』って、何度も深夜に語り合っていたりしていた。オーロラを見に行くという行動そのものにピンときたんですよね。だから、たとえ行った時に曇っててオーロラが見えなくても、その曇り空がジャケットになったらそれでいいと思えた。俺たちがオーロラを見に行って、その時の空が写真になって、ジャケットになれば、それ以上の意味はないだろうって」

この考えは、僕が後ろ姿の写真を撮る理由と同じだと思った。生意気ながらも、ちょっとバンプに並んだような気がした(ルーツは彼らにあるんだろうけど)。

その日、出会って、良い時間を過ごして、それを記録し、いつか思い起こすための装置としての写真があって。
自然で、飾り気がなくて、かつ「そこに俺たちがいたんだぜ」っていう空気が閉じ込められる方法が後ろ姿の撮影だと、小さく信じているからだ。

「何でもない日こそ記念日にしよう」なんて最初のアルバムで彼らは語っていたけど、それと軸は同じ。

わかりやすく仕立てられたドラマチックな出来事はなくても、ドキュメンタリーとして毎日を見てみると、意外なほどグッとくる風景は溢れているもの。

大事な車輪の唄のCDジャケットのことは忘れていたけど、自分の撮る写真にその影響が表れていたように、忘れても、離れてもまたどこかできっと会える。

そんなことを教えてくれたBUMP OF CHICKENのみんな、ありがとう。

さっき「僕はBUMP OF CHICKENではない」なんて書いたけど、彼らの音楽が自分の細胞と紐付いて息をさせてくれているから、僕自身もBUMP OF CHICKENなのかもしれない。僕の中のBUMP OF CHICKENにも感謝を。

おまけ

今日、2年ぶりにバンプのツアーに行くので、セトリを予想してみました。

飛騨の田舎で育った僕も、いつの間にやら埼玉のメットライフドームにバンプのライブに遊びに行くような大人になった。

あの頃の僕よ、セットリストを考えるのは楽しいぞ。バンプのライブは最高だ。今を生きてください。

さて、20歳の頃にできた大事な友達と一緒にライブに行ってきます!


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