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今夜、キミと、“裏”のセカイへ

身体の火照りを冷ますように、冬の気配が服の隙間から時折忍び込んでくる。

ポケットの中からスマホを取り出し時間を確認する。
もう一杯飲み終わる頃には、今日は昨日になっているだろう。

終電が怪しくなってきた金曜日の居酒屋で一人、彼女が手洗いから戻るのを待っている。

二人で飲むのはこれで何回目だろう。
そろそろ友人から次の関係へ変わっても良い頃合いだと思う。ただ、今の関係も心地良くて、それがふいに終わってしまうことは避けたいと思ってしまう。

手洗いから彼女が戻ってくる。
桃色に染まった頰に穏やかな笑みを浮かべながら、ゆっくりと僕の隣へ座る。狭い店内でカウンター席へ腰掛ける際、彼女と脚が軽く触れ合う。膝丈のスカートから伸びるストッキングからは彼女自身の肌色が透けていた。

「どうしようか?」

スカートとストッキングの境目を見つめていた僕へ、彼女が尋ねた。慌てて視線を彼女へ向けると、彼女はスマホを確認していた。
今後を僕へ委ねている。何かを試されている気がする。彼女は何を期待しているのか。アルコールの混ざった頭の中で考えてみるものの、なかなか言葉が出てこなかった。

「どうする?」

何も良い返しが思い浮かばず、結局オウム返しになってしまった。なんだか情けなくてカウンターの中に並べられた日本酒のラベルを眺めることしか出来なかった。
彼女は鼻で少し笑うと、ひじをついた手で頰を支えながら、かしげた顔を僕へ向けた。

「もう少し飲みたい?もう帰りたい?」

目の前に出された二つの選択肢。どちらを選ぶかで僕の運命は間違いなく変わる。まるでゲームの中の主人公のように。胸が少しときめいていた。

「明日休みだしなあ」

彼女が出した選択肢とまた違う回答を返す。なんて意気地のない男だろう。ゲームであれば、この時点でゲームオーバーかもしれない。
僕の返事を聞いた彼女は声を出して笑った。大きな口で意地悪そうに僕を見つめる。

「わたし、行きたいところあるんだけど」

もうこうなれば変に意地を張っても仕方がない。

「じゃあ、そこ行こうか?」

結局、決断を彼女へ委ねてしまった。彼女は少し笑うと何度か頷き、席を立つ準備を始めた。席から立ち上がりやすよう場所を譲る。視線の先には太ももから再び透ける彼女の肌色。ヒールの足元がおぼつかないせいか、彼女が僕の肩へ手を置きながら立ち上がった。

「早くいこ」

その声に連れられ、僕らは店を後にした。

もう日付が変わる。
これはどのような結末が待っているのだろうか。

彼女は「行きたいとこ」へ向けて先を歩き、僕はそれについて歩いた。
僕らと同じような男女二人組がすれ違うが、彼らは僕らとは逆方向、駅の方へと向かっていく。
手を繋ぎながら、腕を組みながら、彼らはどこへと向かうのだろう。そして、僕の少し前を歩く彼女は一体どこへ向かっているのだろう。

すでに看板のライトが消えた飲食店もある商店街の中を、彼女はゆっくりと歩いていく。その横に並びながら、彼女の顔を見つめた。
商店街の古めかしい照明の下でも、彼女の桃色に染まった横顔はとても綺麗だった。
目が合う。少しだけ眠そうな目で彼女は優しく僕に笑いかけた。とても可愛かった。

商店街の中をこのままずっと二人きりで歩いていたい。


そう思った瞬間だった。
ただ何も考えずに前に向けて足を運んでいた僕の体が、彼女のいる右側へと強く引かれた。体のバランスが大きく乱れた。
気付けば彼女の腕は僕の腕と絡まり、僕の腕に彼女が抱きつくような姿勢になっていた。
右腕が温かい。そして、とても柔らかかった。

「ついたよ!」
「え?」

歩いてきた商店街の中に特に目立った看板はなく、目に入っていたのはチェーン店ばかり。そんな中に彼女の目指す場所があったというのか。

驚きながら見つめる僕へ、彼女はイタズラっぽく笑いかけると、あごで前方を指した。

目の前に入ってきた光景は、ここまでとは別世界だった。

暗い夜を目一杯照らすように、色取り取りの照明が輝いていた。目の前には小さな一本道。人がすれ違うのがやっとくらいの石畳の道を挟み、両側に小さな飲食店が並んでいる。店前の道中にはテーブルが並べられ、そこでも様々な料理と飲み物を楽しむ男女が見られた。冬の空の下、温かな湯気とともに美味しそうな香りとともに、賑やかな笑い声と音楽、グラスの重なる音がその空間を包んでいた。

自分の知らない、大阪が目の前には広がっていた。

もう一度彼女を見つめる。
彼女は笑いながら僕へ教えてくれた。

「ここが裏参道だよ」

彼女温かい柔らかさが、僕の腕を引く。
裏の世界へ足を踏み出し、僕の新しい冒険がここから始まったような気がした。

いただいたサポートは取材や今後の作品のために使いたいと思います。あと、フラペチーノが飲みたいです。