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四分の一人前

このところ、なんとなく神経質だ。そのせいだろうか。家に一人でいる時、窓の外の風に揺れる電線をまじまじと眺めてしまう。じっと、何を考えるでもなく、ただただまじまじと。

僕だけではないのだろう。世の中のたくさんの人が、神経質になっている。テレビをつけると映るみんなどこかしかめっ面で、怒っている。矛先はあらゆる方向に向いていて、それこそ全員敵に見えてくる。そんな光景を見て、神経質にはなりたくない僕までも神経質になる。だから新聞やテレビからも、目を背けたくなる。現実というものから、背を向けたくなる。これは、許される類の逃げであろうか。

まあ、仕方ない。なんとかなる。

確かにそうなのかもしれない。でも、この今の世の中はそのような簡単な言葉で片付けられる話ばかりではない。
誰もが必死にもがいている。ある人は生活を維持しようと必死に今日も生きる。
そんな中で、僕は何をできるでもなく、ただただ家で悶々とした日々を送る。

家にいるだけで、誰かの命を救う。

たしかにそうなのかもしれない。今の現状を打破するためにも、僕は喜んで家にとどまる。そして、人々を、日本を、この世界を救う。みんなが救世主。

でも、その感触は皆無だ。

なんなら僕は世界を救う過程に耐えかねて、神経質になっている。
なんならこの出来事を、迷惑くらいに思っている。
なんなら僕は家にこもるストレスを理由に、殴り書きのようなこの文章を書いている。

日常というものが。自由というものが。当たり前というものが。
それらの今まで手元にあったものが少し奪われるだけで、こんなにも世界も、僕の生活も、気分も、一変してしまった。見えぬ相手に振り回されて、正常な自分までも奪われつつある。

そのようなことに、誰がなると思っただろうか。否、誰もいない。

***

でまかせにnoteを広げれば、そのようなことを書いてしまう。奴のせいにしたいが、事実、奴のせいである。見えない相手が現れさえしなければ、このような事態にはならかっただろう。

でも、そんなことを言っても何も始まらない。

たら、れば。

変えようのないことを悩んでも、何も生まれやしない。
人間とはちっぽけなもので、過去に戻ることはできない。
強い自分を手に持ち、今を生きるしかない。


僕もまだ、半人前の人間である。いいや、そのまた半分である。
どうやらまた、出直しだ。

2020.4.14
おけいこさん

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