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いつになったら見えるのか

今日は風がよく吹く。海から吹いている。でも街を歩けば右から左へ、左から右へ、風は我々が街を歩くのと同じように、道に沿ってずっと通っていく。風は何やらお急ぎのようで、おかげさまで半袖短パンでは、何やら少し肌寒い。


ふと、スペインの旅行を思い出す。


夏休みのことだった。8月の半ば。ポルトガルに帰ってきて、二日くらいしてすぐにその地を訪れた。バルセロナの空港で後輩、とはいっても僕は早生まれでほぼ同い年であり、あまりそういう感覚はないのだが、まあ女友達二人と待ち合わせ。スペインでは四泊五日の旅。前半はバルセロナ、後半はマドリード。バルセロナは海の街、故にどこかポルトと似ていて親近感を覚えた。海の幸がやはり豊富で、サングリアと相性抜群の料理たちが印象的であった。バルセロナへはバスでの移動、内陸めがけて8時間、ひたすら座席にしがみつく。途中のユニークな地層やら、広大な大地やら、届きそうな雲を眺めながら。現地に着けば、そこには当然海風の姿はなく、ただただ太陽が私を照りつけていた。湿度がないだけ、日本よりはマシである。

この旅行は、夏に入る前から彼女らと計画をしていた。とはいっても、当初は彼女たちだけの旅行であり、二人が近くまで来るというのでついでに参加させてもらおうという、そういう流れであった。なのでホステルの予約なり、バスの予定なり、それらは彼女らに任せていた。あとの、現地で何をするかとかはその場で決めるという、フレキシブルな計画。バルセロナも流れであっちへ、こっちへ。マドリードも流れであっちへ、こっちへ。こうして最後にたどり着いたのが、マドリード王宮であった。


僕はよくものをなくす。財布とか、携帯とか、リップクリームとか。だいたい彼らが見つかる場所はいつも決まって自分の近くで、カバンの奥底の方だったり、何かに挟まっていたり、部屋とか車に置きっぱなしだったり。僕の性格も穏やかなこともあり、だから何か見当たらなくても焦ることはない。その王宮では、購入したての入場券をなくした。

いつものごとく、僕は焦らなかった。それもそのはず、5分前に購入した入場券、買ってから僕が場所を動いたとすればトイレに行ったくらいで、券は自分の近くに確実にあるはずなのだ。実際、入場券は僕のカバンの中から見つかった。トイレに行くときにきっと入れたのだろう。

あったあった、とカバンから券を取り出すと、友Aが僕に、何を言ったのかは正確には覚えていないが、何か「心配した」的なことを言った。その言葉に対して僕は「買って間もないしどこにもまだ行ってないから、あるに決まってるじゃん」と、軽い感じでそう答えた。すると、友Bが僕に「友Aが心配してくれてるのに、ありがとうの一つもないのか」と指摘した。いうまでもなく、3人の空気は一変する。もちろん、良くない方に。

とりあえず僕は二人に謝り、彼女たちの後ろをトボトボと、王宮を進みながら考える。はたして自分の何がいけなかったのだろうか、あの場で何を言えばよかったのだろうか。そして僕がその時に察したことは、二人が他にも何か不満を抱えているということだ。でなければ、普段静かな友Bがあそこで強く出ては来ない。自分は旅で、何をやらかしたのか。


僕が何をやらかしたかは、今現在でもわからない。彼女らに聞いてみないことには、わからない。聞こうにも、聞けない。でも確実に、何か地雷を踏んだのは確かである。結局、空気はあまり良くならないまま、旅行は終わりを迎えた。


一つ、確実に言えることがある。それは僕という人間が人に対して素直じゃないかもしれない、ということだ。もしかしたらあの日、券をなくして見つけた日に、言葉をかけた友Aに対して「心配してくれてありがとう」と、一言言うべきだったのかもしれない。でも出てこなかった。多分、今でもその言葉は出てこないと思う。


心配してくれてありがとう、って、なんだろうか。


心配するということは、その人を気にかけるということだ。そういう意味では、確かにありがたいこと。だとすれば、ありがとうと言ったほうがいい。

でもおけいこさんは、そこがしっくりこないのです。なぜだか。僕は心配するに値しないことだと思っていて、彼女は心配に思っていて、そのギャップから僕の中で「なぜそんなことを心配するのか」っていう疑問がありがとうよりも先行したのだろうか。でもやはり素直ではないのか。たしかに、ああ言えばこう言う性格だし、頑固なとこもあるし、裏目に出たのかもしれない。彼女たちに募った不満も、もしかしたらそこから生まれたものなのかも。


その旅行から、彼女たちとは連絡を取っていない。友Aとは留学前半、割と連絡を取っていたが、それも無くなった。僕はきっと何かかしら彼女たちに傷を負わせてしまっただろう。物理的な暴力はふるっていない、故に、言葉で負わせた傷である。友人を二人ばかり失ったと思っている。もしかしたら風の噂になって、僕のことをあまり良く思わなくなる人もいるだろう。でも、今更である、もうどうしようもない。それでも帰国をすれば、彼女らと顔を合わせねばならない。今まで通りにはいかないかもしれないが、でも人間関係ってそういうものだ。

今までそのようなことはなかった。僕の性格が変わったのだろうか。他人を考えて、自分の性格をいろいろ考えて、この性格は変わったほうがいいのだろうか。それは人に合わせると言うことだけれども、それは自分なのだろうか。というか、自分ってどんな性格なのだ。


人にはいろんな面がある。僕にもいろんな面がある。あの人も、この人も、あそこの人にも、いろんな面がある。自分から見えるとこ、他人から見えるとこ。見えないとこ、見えなくなってしまうとこ。


僕にはまだ、よく見えていないようです。どこもかしこも。


2019.9.10
おけいこさん

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