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体力が減ったというわけでもなく

部屋に備え付けのカーテンの色は、オレンジ色。そのカーテンのおかげで、より一層今日の西日は燃えている。部屋はまるでみかんの中のようになり、オレンジ色に包み込まれた僕はその色を見ただけで酸っぱい舌になる。どうやら三月がもうすぐで終わるらしい。

今日は特に何もしていない。普通に朝ごはんを食べて、買い物に行って、知らないアニメを数本見て。そんでもっていろいろとおしゃべりをしていたら、すっかり夕方になっていた。元気が出たので来週も頑張るかと思えば、どうやら疲れが十分に取れていないらしく、眠気が容赦なく襲ってくる。

少し眠るか。

少しとはいえども、布団の気持ち良さにはかなわないことは重々承知であった。30分のつもりが、いつも一時間、一時間半、二時間になってしまうのが世の常。日曜日ということで、そんなことがあってもいいかと思ってベッドで目を瞑ると、案の定、目を覚ました時に僕はみかんの中から出されていた。午後の7時である。

部屋にはポツンと、僕一人。咳をしても一人、とはこんな状況をいうものなのかと、詩を思い出しても一人。部屋には、エアコンが20度の暖かい空気を送り込む音だけが響き渡る。

一時間半も眠ってしまった。22歳の若さだというのに、いつの間にか日常生活での体力が下がってしまい、そのことが気にかかる。先も言った通り、今日は一日何もやっていない。体力を使ったといえば運転しながら車の中で熱唱したくらいで、そのほかはずっと家の中にいた。体力ゲージが100あるとしたら、僕は今日そのゲージをいつどこで減らしたのか。

わからない。

暗闇でそのような疑問をぶつけて自分でわからないことがあると、少々不安になる。自分は何かの病気のせいで、体力が落ちやすくなってしまったのかもしれない。いつも起こる立ちくらみでさえもどこか重大な体の欠陥のように思えてきたりして、きりがない。

とりあえず光を浴びるべく、僕は机の電気をつけた。

***

この世には、いろいろな人がいる。就活をしているから、いろいろな人がいろいろな仕事をしているのが、よく見える。

どんな目的で仕事をしているのか。

何かを達成したくて、その手段としての仕事だと僕は捉えていた。しかし、自分が病気のせいで体力が落ちてしまったら、なんてことを想像したら、どうも同じような思考には陥らない。


僕がもし病気をして、仕事をするだけでもやっとだとしたら。


働くだけでも、きっと辛いのだ。場合によっては持病を抱えながら働かなくてはならないが、それでも気を奮い立たせて生活の糧を稼がなくてはならない。人生になんの目的があって、どうこう、なんてことは忘れてしまう。とりあえず働いて、お金を稼いで、病気と闘って日々生きる。それだけで、精一杯だ。


そう考えると、体力があって活動することほどありがたいことはない。


自分に与えられたエネルギーを、体力を、一日にどのような振り方をするか。

そんなシンプルなことが、生きるということの一部だ。それだというのに、そのことについて何か新発見をしたような、そんな感覚になっている。


暗闇はそのような考えをさせてしまうようで。

それとも、コロナのせいか。はたまたそれとも、自分の人生や時間の使い方に、僕は疑問を持っているのだろうか。


まあなんと言うか、就活ってわけなく色々考える機会なのでございます。

2020.3.29
おけいこさん

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