温泉の未来予想図

コロナ後の世界では、様々なことが変化しているのだろう。

コロナのこの時代を生き抜くために今やっているその行動が、”特別”なものから”当たり前”に変化する。欧米の人でもマスクをつけるだろうし、手洗いうがいは世界中の誰もがするようになるかもしれない。こうして新たな習慣が、生み出される。

新型コロナウイルスをきっかけに、清潔であることを人々は気にし始めた。今までそのことを気にしていなかったわけでないが、より気にするようになった。ある病院での感染は、どうやらタブレット端末を媒介として広まったらしい。確かに、パソコンのキーボードは手で何度も無防備に触るから、トイレの便器よりも汚いという話はよく耳にする。それと同じことである。だから、これから病院を中心にタブレット端末も使用後はしっかりキレイにするのであろう。それはいずれ、我々の生活にも溶け込んでくる。見えない敵が相手なら尚更のことで、きっと念には念をして、僕たちはタブレットやパソコンでさえもキレイにする。

台湾の公園では、ボランティアが遊具を消毒してキレイにしているだとか。アメリカでは、エコバッグがウイルスの媒介となるから、レジ袋をまた使い始めただとか。

明らかに、人々の清潔への意識は高まっている。これがおそらくこれから先、一年以上は続くであろう。そうなれば、もはや”キレイにする”という行為は習慣として強く根付いても、おかしくない。

言ってしまえば、この世界に潔癖の人が増えると、僕は思う。

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僕のある友人は、大衆のお風呂が嫌いだ。なぜなら、汚いからだ。まあ気持ちはわからなくもない。たとえ他人がいくら体を洗ってからその大浴場に入ったとしても、いわゆる”汚れ”が100%落ちるわけではない。何かかしらのフケなり、垢なり、髪の毛なりと、お風呂には混じっている。それを嫌う気持ちは、理解できる。

では、僕たち人間はなぜお風呂に行くのか。それは、パワーをもらうためだろうと僕は考える。

宮崎駿監督作品『千と千尋の神隠し』は、それこそ湯屋が舞台だ。だが、その映画の中では”湯屋”が”油屋”となっている。温泉がエネルギーを再度貯めるための場所に他ならないから、そのような表現になっている。

”油”という字からは、石油やガソリンなどが想像できる。それらのものから服はできるし、車は走るし、生活に欠かせない電気も生み出すことができる。エネルギーの象徴である”油”ということから、”油屋”。たしかに、とても体が疲れたり冷え切ったりした時に、僕たちは温泉に行きたくなる。そして湯船に浸かって、フーっと一息ついて、リラックス。体が休まらないはずがない。


僕たちはどうやら、温泉からエネルギーをもらっているらしい。


しかし同時に、先にも述べたように、少しだけ温泉は汚い部分も抱えていたりする。露天風呂には虫が死んでいたり、枯葉が平気で入っていたりする。それに、裸で誰かと同じ空間にいる以上、誰かが入った後のお湯に入る以上、感染症がうつる可能性は高いのかもしれない。専門家ではないから細かいことはわからないが、気になる人にとっては、相当気になる汚さだろう。現に、それらが理由で温泉が嫌いな人がいる。これらの想像からすれば、コロナ後の世界に潔癖の人が増え、そのような大衆のお風呂に行きたがらない人が増えるように思う。

まあ、あくまでの想像の話だが。

こうなった時、温泉が”=汚いところ”として多く認識されるとしたら、温泉好きの僕としては何やら悲しい。今まで原動力だと考えてきた温泉が、汚いというマイナスのイメージで捉えられてしまう。温泉がかわいそうだが、それは僕視点の一方的な考えでしかない。じゃあどうしたらいいのかと言われれば、その宮崎作品のように湯すら張られていないある浴槽に一人入って、頭から新鮮な温泉をぶっかけてももらう他ないように思えるのだが。

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温泉に行く人が、もしかしたら減るのかもしれない。

温泉好きの、ただのコロナ後の世界の妄想である。


2020.4.12
おけいこさん

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