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説明できない共通項

父とはなぜか、昔から話が合う。考え方が、多分似ている。きっと僕が父に影響されたのだろうけど、どうもそれだけが理由ではない気がする。運命とか、ソウルメイトとか、その類の言葉を使うと怪しまれるかもしれない。でも、科学ではわからない何かが働いているようなことがこの世の中には、僕はあるような気がするのだ。

「我々は少し特殊だよね。」

父はそう言う。右に同じだと、僕は頷く。

どこらへんが特殊かと言うと、お金の使い方だ。端的に結論を言ってしまえば、僕たち親子は経済合理性を欠いている部分がある。なんというか、関西人とは真逆なのだ。買い物をしたとして、少しくらい高くても買ってしまうのが僕たち親子。安いものをなぜか探さない。「これでもういいんじゃね?」となって、買う。すると、母や妹にすぐに怒られる。彼女たちはきっと、経理の仕事が似合うだろう。僕が自分の会社を立ち上げた際の、候補に置いておこう。

でも普通に考えたら、彼女たちが正しい。安い方がいいに決まっている。だって、自分たちが得をするのだもの。安く手に入れられたら、バンザイ。でも、僕たち父子はどうもそうならない。

もしかしら、メンドくさがりなのだろう。でも、それだけではないのだ。


必ずその余分に払った分のお金が、誰かのためになっている。


そんな感覚が、僕らにはある。なんとなく。

***

父の話だ。司馬遼太郎の『竜馬がゆく』のワンシーンらしい。

竜馬がある時、お金を盗まれる。大金だ。岩崎弥太郎だったか、誰かだったか、とにかく竜馬のお金が何者かに盗まれたのだ。その時に竜馬が何をしたかというと、大声で笑ったらしい。

「さぞかし盗んだ奴は、愉快だったろうな。」

そんな言葉を言いながら、竜馬は笑ったそうだ。


僕はまだ『竜馬がゆく』を読めていないからそのシーンを実際には見ていないが、どうもそんなシーンがあるらしい。そのシーンがるとして、つまるところ、竜馬には相手が見えている。自分だけではなくて、相手も見えている。なんなら、相手の方が自分のことより、見えている。だから大金が盗まれたとしても、彼は笑った。

別に、我々父子が竜馬とおんなじだなんてことを言いたいわけではない。ただ、経済合理性を欠いた奴が、この世の中にはたまに存在する。経済的に損をしたとして、それでもいいやって、なれる人がいる。そうなれようがなれまいが、どっちが正しいとかは存在しない。ただ事実として、そんな二種類の人間に時として分けられたりする。たまたま僕たち親子が、その経済合理性を欠いた人間であったってだけで、それが一つの家族に二人もいたことが面白いなーと。ただそれだけの話だ。


兎にも角にも、僕はどうやら経済合理性を欠いている面がある。だから、経理の仕事が務まるような奥さんと手を繋ぎたいものだ。

そうでなくては、家がもたない。

まあ人生が一種の夢のようなものだと言うのなら、それまでなのだが。
だが、そうも簡単には言えないだろうからね。


無駄遣いには、注意せねば。

2020.3.31
おけいこさん

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