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大人の対応が適切かどうかは 子供の反応が答えです


子供はわがままを言うのか?


結論から言うと、私は 子供はわがままを言わないと思う。
息子だけでなく全ての子供が。

考えてみて欲しい。あなたはなんの理由もなく相手や周りの人を困らせたり ふざけたり怒ったりしたことがありますか?

子供は新しいことに興味があったり、出来ることが増えたら嬉しいし、そういうときには大人に褒めてもらえるともっと嬉しくなる。
もっと怒らせたい!困らせたい!と思っている子はいないだろう。


表現方法が未熟なだけ

子供は語彙力も言葉で伝える技術もまだまだ未熟。
困っているときに、言葉に出して「困っています」とか「手伝って欲しい」とか言えるようになるのは余程成長して思考が成熟してからのことだと思います。

そうなるまでは、困っているときにどうしても怒ってみたり、笑ってみたり、泣いてみたり、ふざけたりしてしまう。
これは本当は怒っているのではなくて、面白がっているのではなくて、悲しいのではなくて、ふざけて面白くしたいのではなくて大人を困らせようとしているのではなくて、「困っている」のだ。まだ気持ちの伝え方を本当に知らない。

上のようなやり方では周りの人に困っていることが伝わらないのにも関わらず、子供はやはりこういう表現をしてしまう。
これは自分でも「今のこのなんだか落ち着かない感じはなんだろう」と困っている原因さえも不快感からきていると自分ではっきりわからない場合と、落ち着かない原因が大体わかっていても伝えれば良いということがわからない場合がある。「私は⚪⚪のことで困っている」と言えばよい そのセリフさえもまだまだ成長過程にある子供にはパターンとして思い浮かばず、教えてもらわないとわからない(気付けない)子がいる。

これらのことを大人は知らないから、ふざけている怠けていると誤解し、実際には困っている(SOSを出している)子どもに対して厳しく叱ってしまうことがある。真逆の対応だ。

大人にとっては当たり前のことでも、子供にとっては当たり前ではない。子供と関わるときには毎回子どもの目線・視点に立つことが大切だ。
また、自分の当たり前も相手の人の当たり前ではないことを意識した方がいい。
仮に想像しきれない場合でも、「自分には知りえない何かしらの理由あるんだろう」とわからないままでもそう受け止めることも大切だと思う。

きちんと説明したつもり

それからもう一つ注意しないといけないことがある。
大人はきちんと説明したつもりになっていて、でもまだまだ知らないことの多い子どもにはその説明では足りず理解できていないことがあって、わからなくて困っていたりする。
子どもには、大人にはすでにある「前提とされている知識」がないことがあるのでそこまで見越して話をしたい。

息子の行動は正直

私の息子は自分の心に正直に行動する。
息子自身があえて「正直に表現しよう!」と心に決めているわけではなくて、これが息子の生き方だから。さらに言うと、息子は自分の心や感覚に正直にしか生きられない体質なのだ。

受け入れられる 理解できる 心を許せる 興味がある 好きな物や人に対しては、おおらか元気に明るく楽しそうに接している。

息子は現在7歳になるが、これまでにたくさんの大人の方々にお世話になり出会ってきた。

とても敏感な息子。
一見、人見知りと思われがちだが、一瞬で その時に出会った大人が自分にとって嫌なタイプかそうでないか見極められる感覚がある。
まるで、初めて出会った相手が安全か危険かを察知するセンサーが付いているみたい。

また、始めのうちには安全が確認できて関わりを持っていても、途中から相手の対応が変わってきて危険!と思えたら、またセンサーが感知してアラームがなり、その相手を永遠に避けるようになる。

そういう時にはまるで 熱いお鍋に間違えて手を触れて、反射的に手を離すときのように瞬時に体が反応する。

初めて出会った時にセンサーが安全だと感知すれば、その日からでも楽しく過ごせる。


幼稚園や学校の話

幼稚園や学校、習い事、その他 どこにも理念やコンセプトがあって、それに基づいて教育や指導が行われている。
それらの理念やコンセプトにはこれまで息子は合わないことが多くて苦戦しながら生きてきた。


「みんなやっているから、やらないといけない。
ここは学校だから、こうしないといけないなどルールがある。
学校のスケジュールの内容や時間配分はみんな事前に決められたもので全員参加。やらないのはズルまたは落ちこぼれ。」

今までは大体こんな感じのところが多かった。

先生の指導では息子の思考をエネルギーを消費してまで停止させるしかなかった。でも、クリエイティブな息子の頭の中は、いつも前進し続けている。思考を停止させておけない息子はどんどん苦しくなっていき、限界が来ると体調を崩しもがき苦しんだ。現在は学校に行かない選択をした。

たまには手を抜くことは許されず、自分で選択することも許されていなかった。機械的に動くロボットのようには息子はなれなかった。

本当は学校に通うほとんどの子供達にも適していないやり方なのだと思うが、ほとんど子供達が耐えている。それが社会性があるとか協調性があることとされているようだ。
だから息子は社会の中では、社会性のない子 協調性のない子 ということになっているかもしれない。
でもそれって私は同調圧力の間違いだと思う。

本当は耐えている子も多いやり方に対して、息子は「大人がやるように言うからやろう」とはならない。

息子の行動は、そこを管理し指揮する大人に対して、
「そのやり方は間違いだよ。そんなことは理不尽なんだよ。」
と教えくれている。
そしてそういう場合は大抵他にも多くの子どもが我慢して耐えているし理不尽さを感じていたり、必要以上の負荷がかかっていることが多い。




大人は 子どもは表現方法が未熟であることをいつも念頭に置いて、見たまま 聞こえたままがその子の本心ではないことを覚えておきたい。

集団の中に少数でもサインを出す子がいたら、
サインを出さない子の中にも子どもの成長にとって本来受ける必要ないほどの負荷ががかっている子が多数いることを想像した方がいい。

不登校が増えていることも答えなのかもしれない。

大人の考えたやり方が合っているかどうかは、子供達が教えてくれている。

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