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勝手な見解だけれども

アタイの家族(親と妹)について。

以下の文章には辛烈な内容が含まれます。
心理的にしんどさのある方はページをお閉じ下さる判断でも良いかと思います。
落っこちたい気分の方はどうぞお進み下さい。

アタイが自死を実行に移したのは高校を卒業した歳の夏だった。
アタイは蘇生させられて生き残る事となり、1ヶ月後には杖を使いながら登校していた。
多分、あの時がターニングポイントだったのだろうとアタイは踏んでいる。

学校の教授達は両親と知り合いと言うか、元々の職場が一緒だったりした為、アタイへの風向きは悪くなった。

しかし、両親は相当あの時に周りから可哀想として、何より娘が生きて戻って良かったね、と、悲劇のヒロイン側になった。

妹も同じ感じ。
妹は2年後、突如看護師になると言い出し、その5年後には看護師となった。
その間、妹は1度も実家へ戻らず、離婚していた母方の家や父方の祖母宅には年末年始に顔を出す位だった。

両親、特に父はこんな風になったアタイを守らなければ成らないと口癖みたいに触れ回りつつ、アタイには何も出来ない人間を家に置いてやってるのだから有難く思え、と、堂々と口にしたり、LUNASEAのFCであるSLAVEと言う名称が奴隷と言う意味なのを知りながら、おいSLAVEちゃんとしろ!と、自分はお酒を呑んでテレビを観ながら笑顔で言いつつ家事をアタイにさせたりした。

父はアタイの通院時に医師と話した事も自宅に戻るとアタイに話させた。
アタイは父から医師と父が繋がりがあると聞かされていた為、嘘を付いて嘘だと知られた時の面倒くささ(多大なる自身への被害)を考えてそのままに話をした。
アタイはいつの間にか医師に本音も何も相談せず、服薬内容だけを話す様になった。

父と離婚していた母はヒステリックさを増す時と妹に今迄以上にベッタリとする時間が増え、また、アタイのストーカーの様にアタイの行くお店関連全てに顔を出し、店員さんと仲良くなろうとしたりした。
(美容院や下着のお店、本屋、雑貨屋に至るまで)

妹は母と3人暮らしの際、アタイの物を我が物顔で使い(アタイの自室ですら)アタイの洋服やメイク道具は妹の友達が平気で持ち逃げしてくれても知らん顔だった。

それでも、何か事ある毎に3人ともアタイのあの時を引き合いにしてお店や他者から同情を得てはアタイを悪人として仕立て上げた。

こんなに長女で誰からも可愛がられて育ったのに自分で自分を殺そうとするだなんて。
世界には障害を持って生まれたり、生きたくても長生き出来ない人が居るのに、と、アタイを攻めなじった。

アタイがアタイだけの時間を持てるのは、本当にLIVEの時だけとなっていた。

両親や妹からするとこれだけなじっても言い返しもしないのだから、アタイには感情は無くなって、思考力も無い人間となったと捉えられたと仮説を立てる。

だから、あそこまで何でも口に出来たのだ。
自分のストレスも本当はその相手に言いたい事も何もかもを言いたい放題に。
そして、そのサンドバッグが消えたら自分の楽になれる完全なる優位に立てる場が消えてしまうからストーカーの様にアタイの周りをも固め、離婚した割にはお互いを褒め何かしら誰かしらにより情報交換を当たり前としていたのだ。

あの時迄の18年とその後しっかり離れる18年後迄の何が1番変化したか。
それは紛うことなき言葉だ。

彼等も歳を重ねる事によりシンプルになった。

あの時みたいに誰かにかまって欲しくなると、平気でアタイに死ねばいいのにと口にした。
お姉ちゃんが死んだら私が遺産は全部貰えるとも、祖母達の介護を押し付けつつ面倒くさい両親とも距離を置きながら口にした。

アタイが死んだら、どれ程彼等は嬉しかったのだろうか。
周りに可哀想に可哀想にと実家の父は最期の時迄職場関連者や地域の方々に、母は教会を含めたアタイ関連者も含めた方々にも、妹は夫やその親族含めた方々にも憐れみと労りを頂け各所の相続人にもなる。

…アタイが消えた方が彼等にはメリットだらけ。
そんな風にすら思えてしまう。

アタイの両親は気付くと父が罵声を母に浴びせ、時に母は吹っ飛ばされ、アタイ達は家を出て行かされた。
母は常にアタイを敵視してヒステリックで妹を可愛がった。
妹はアタイに対して生まれながらに天下無敵だった。

アタイが生まれつき肌が弱く、酷いアレルギー体質だったから母はアタイを産んで苦労したと言う。
アレルギーさえ無ければ本当に育て易い子だったのに大変で仕方なかった、と。
妹はその点、偏食で眠らない、直ぐにぐずってよく泣くけれども、大変なのは中耳炎を起こし易い事位だった、と。

アレルギー体質でなければアタイはあんな日々を過ごさずに済んだのだろうか。

父は酷い喘息持ちでアレルギー体質。
それでもタバコとお酒、油物が大好き。
幼い頃の記憶で父は痛風だから、と、アタイとは外以外では遊んだりもしなかった。
お酒を呑みタバコを吸いながら、喘息の服薬をしていた。
後々、父は心臓にステントを入れた。

母もアレルギー体質で花粉症や鼻炎が酷かった。
そしてアタイを理由に民間療法をことごとく試し、ネズミ講関連や周囲に散財していた。
後々、脳梗塞を起こし、それでもネズミ講からの食生活を辞めていない。


アタイは今は幸せだ。
でも、過去はこうもアタイに存在の否定をする。
あの時、せめてちゃんと成し遂げていれば今の苦しみは無いのに、と。

最近、あまりにも台風の連打があったりして自分の調子が悪く、自己分析をしているつもりが自己否定に繋がって居る事にも気付く。

身内の膿を晒してお恥ずかしい限りだ。

アタイはそんなこんな、本気で今は安楽死だけが自分の本当の幸せだと考えている。

アタイが自分で自分を消そうとするのは、今の幸せを否定している気もして少し悔しい。

しかし、合法と言うか、認められた形でアタイの苦しみから逃れる方法が死しかないとして頂けたら、残り少ない自分の荷物の整理をし、自分と共に焼いて貰える物だけを遺して幸せにこの世を去れる。
(勿論、親族には何も伝えず、出来る限りひっそりと)

アタイの見解は遠回しだが、生まれ持った因子と育った環境因子によりアタイは今苦しい時が有る。
そして、その永続的な苦しみに対して鬱的であり、育った環境因子に対して今を奪われる様な恐怖感が有る。
それは育った環境因子がアタイの早期死を本望として生きているのを知っているからだ。
故にアタイは安楽死が今の希望である。

つまらない生き方だな、と、我ながら虚しい。

幸せが分からない感覚や生きる希望の無い生き方は睡眠に時間を削られる方が嬉しいとすら考えてしまうのだから。

幼い頃、1日が24時間じゃ足りないって思う位、やるべき事とやりたい事で世界は溢れていたのに。

あっという間に年齢を重ねてしまった。
気付くと誕生日も過ぎた。
毎年恒例のケーキ屋さんが閉店していた。

ひとりきりの誕生日以降、初めて季節の行事に何のやる気みたいのを感じなくなった。
十五夜にお団子を飾らないのを当たり前と言う人の気持ちも理解した。
誕生日も記念日もただの毎日の中の1日でしか無い事や生きる事だけの人間には特に意味をなさない事も。

アタイは一気につまらない人間になった気がする。
本当は元々そうだったのかもしれない。
その理解しなかった側の人は両親だから。
アタイに季節の楽しみや誕生日の嬉しさや感謝の気持ちを教えてくれたのは母方の祖母だ。

アタイはこれからも多分生きる。
突拍子も無く死が訪れなければ。
(今の所、急ぐ疾患に罹患して居ない為)

パグLove先生はアタイの次の精神的情緒面の成長ステージは両親の死後だと教えて下さった。
アタイにはあの人達より自分が長生きする世界の想像が難しい。

だが両親だって年齢は重ねてある程度の域だ。
怨念込めてたりはしないが、正直、何も感じても居ない。
寧ろ持たなくてもいい罪悪感を抱えていた。

だから、今迄ここまで書き晒せ無かった。

今日はちょっと心のタガが外れた。
心の重荷を抱えて居られ無くなった。
そんな感じ。

彼等からの言動に傷付いたアタイをアタイはまだ傷付いたのだと心の底から理解出来ない。

アタイのアタイを理解したい旅は取り敢えずまだ続く。

もう少しの間、見守って頂けたら幸いです。

ここまでお読み下さり有難う御座いました。
あなた様の心には誰か大切な方が居られる事を、またその幸せを祈ります。

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