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#ジオログ04|自然保全の実践者。島の自然を知り尽くし、その美しさを守る。

#ジオログ
隠岐は日本海に浮かぶ小さな離島のジオパーク。「保全保護」「教育」「観光(ツーリズム)」の観点から更なる持続可能な発展を目指し、多種多様な職員達が在籍しています。「ジオパークで働く人を知る」がコンセプトの本特集。今の彼らの目に映る隠岐を見てみませんか。

はじめに
 今回取り上げるのはNPO法人隠岐しぜんむらの理事長を務める 深谷 治(ふかや はじめ)さんです。1998年に隠岐・海士町に移住。NPO法人隠岐しぜんむらは2006年に任意団体として設立し、2012年にNPO法人化しています。隠岐有数のネイチャーガイドであり、隠岐がユネスコ世界ジオパークとして活動していく上で欠かせない人物のお一人です。
 運営する森のようちえん「お山の教室」の子供達からは「そんちょう」というニックネームで慕われているお茶目な一面も。自然保全の第一線にいる方だからこそ語れる現状と思いを率直に話していただきました。

NPO法人 隠岐しぜんむら理事長 深谷 治(ふかや はじめ)さん。

 深谷さんが来島されたのは約25年前とのことですが、当時の隠岐はどのような場所だったのでしょうか?

 
今と全然違うことは確かだねえ。元々、僕が隠岐に来た理由というのは森林復興の音頭取りというか管理者としてだった。隠岐はずっと牧畑をやっていたけれど、大正の終わりから牧畑をやっていた土地に植え始めたのが黒松だった。当時は高く売れるっていうことで島前三町村(西ノ島町・海士町・知夫村)のあちこちに沢山植えたんだ。そしたらある時、一般的にマツクイムシと呼ばれるマツノザイセンチュウが隠岐に侵入した。密度高く植えているから広まるのもあっという間で、島中の森林が枯れて寂しい風景になってたんだ。ほとんど枯れてしまった森林に関して復興計画がすぐに持ち上がったんだけど、職人さんのことやスケジュール管理をするようなまとめ役の適任が挙がらなくてね。そこで誘われたのが僕だった。

 僕は小さな頃から生きものが好きでね。カナヘビ・カメ・ハト・ニワトリ…家で飼える生きものはたいてい飼っていたね。特に鳥が好きだったから大人になっても野鳥の会のような活動はずっとしていて、いつか自然と向き合う仕事をしたかった。だから隠岐の話を聞いて、二輪車のメーカーの仕事を辞めて新しい隠岐という場所へ飛び込もうと思ったんだ。

 その後は森林復興のお仕事を経験していくうちに自然保全への思いを高めていったのでしょうか?

 森林復興の仕事は大体7-8年くらいやったかな。改めて実感したのは自然の逞しさだった。行政が立てた計画に沿って植えていくんだけど、実際は自然の方がずっと早くてね。松がどくのを待っていたかのように下から力強く生えてくる。その姿を見ているうちに人間が自然の中心にいる活動よりも、自然の自発的な動きを助ける仕事をしたくなった。だから自然保全を根幹に置いたNPO法人を立ち上げようと思ったんだ。 

金光寺山の山頂に隠岐しぜんむらの建物はあります。

 創設メンバーは僕ともう一人、現・海士町中央図書館館長の磯谷 奈緒子(いそたに なおこ)さん。彼女は料理が得意だったからスタートはレストランからだった。料理から自然の恵みを感じることをコンセプトに、僕が取ってきた野草や地域の食材を使って彼女が地産料理を作る。森林復興の時から僕は島前3島の山をずっと歩いてきた。「この木ってどこにありますか?」って聞かれてもすぐわかるんだ。NPO法人を立ち上げた時もその経験がずいぶんと生かされていたね。

 理事長として組織を率いる立場にもある深谷さんですが、その上でなにか意識されていることはありますか?

 うちの組織は人数が多い方ではないから、一人ひとりのスタッフの能力が与えてくれる影響に重きを置いているよ。今では保育園から高校まで出前事業や教育学習をやっているけど、それは「社会教育として環境教育をやりたい」と言って入ってきたあるスタッフの影響が大きい。
 そのスタッフは都市部の子供たちに向けた2泊3日の自然学校を事業として行う挑戦を始めた。プログラムを組むのではなく、自然の中に子供たちを居させる。ずっと竹とんぼを作っている子もいれば、昆虫を捕まえることに夢中になる子もいる。自然と一体化して育つ体験を大事にするのが僕たちがやってた自然学校だった。子どもに向けた環境教育に向けてかじを切ったのは、この事業がきっかけだったね。

NPO法人隠岐しぜんむらでは、県外から来た子ども達に向けた環境教育も積極的に行っています。

 あともう一つ大事にしていることがあるんだけど、それは「だんだんと積み上げてやっていく」っていうこと。これは僕の経営観念でもあるんだけど、たけのこみたいにぼんっと急に育つ商売は長続きしないのかなと。持続可能な事業をしたいんだったら地盤をしっかり作らないと後々の厚みが出ないからね。それに僕たちがやっていることはこの島を知り尽くしていないと、プロフェッショナルとして出来ない仕事。隠岐は残っている資料も少ないから自分の足で歩いて、理解して何年もかけてこつこつと深めていくことを求められるんだ。

Entôジオ事務所で勤務する様子です。「深谷さんに聞けばわかる!」が合言葉なスタッフ一同。月に数回の勤務の度に、抜群の安定感で事務所に平穏をもたらします。

隠岐諸島がユネスコ世界ジオパークとして認定されたのは2013年のこと。隠岐しぜんむらとしてはどのようなジオパーク活動を担うことが多いのでしょうか?

 保育園から高校までの子供たちにジオパーク活動として出前事業をやることは近年増えてきてるかな。それから隠岐しぜんむらは設立当初からネイチャーガイドを始めていたからガイド活動を担うことが多いよ。隠岐ジオパーク推進機構の現 事務局長である野邉さんとは、隠岐がジオパークに認定されるずっと前から親交があったから、上手く連携して動くことができているよ。泊まれるジオパーク拠点施設 Entô が2021年7月にオープンしてからは、Entôジオ事務所のスタッフとしても解説や施設管理の面で関わるようになったね。

( 隠岐ジオパーク推進機構 事務局長・野邉一寛さんの記事はコチラ! ↓ )

  でも変わらず隠岐しぜんむらとして掲げているミッションは自然保全。そのためにも僕は変わらず調査研究をしっかりやりたいと考えていて、環境省や島根県に提言をして行う仕事も多い。今取り組んでいるのは無人島の生態系保全としてドブネズミの調査をすること。外来生物として全国あちこちで問題になってて貴重な鳥やその卵を食べるという被害も多い。今の被害状況がどれくらい負荷を与えているのかを調査しているよ。

島前地域にはいくつも無人島がありますが、深谷さんが主に調査をしているのは希少な種が認められている3つの無人島です。

自然保全の第一線で活動する中で感じること・思うことはありますか?
 この仕事をしていて思うことは、「人間は決して自然の上に立っているわけではない」ということ。もっと自然に対して謙虚に付き合うべきだと思うんだ。例えば外来生物って自分から入ってくることはなくて、基本的に人間の経済活動が理由で入ってきた生物なんだよね。近代社会に入って人間は自然への負担より経済を優先して、色んなひずみが生まれていることには見て見ぬふりをしてきた。

島後・東郷川での調査で、川に住む生き物を子どもたちと観察する様子。「この生き物はきれいな川にしかいない生き物だよ」。

 自然に上手く寄り添えていない社会が続いていくつも地球課題は発生しているけれど、直接的な保全活動として自分たちに出来ることというのは一部。だからこそ未来を担う子供たちをきちんと育てなければならないって深く思う。自然と共に育った子供たちは大人になっても上から自然を考えることはないからね。自然保全っていう大きな幹は変わらずに、隠岐しぜんむらとして僕たちなりの枝葉をこれからもつけていこうと思っているよ。

筆者からのひとこと
 私が隠岐に来て間もなくの頃、よく読んでいた一冊の本があります。一見通り過ぎてしまいそうな路地に咲く植物を見ていると実際に確かめたくなり、本を片手に自転車で冒険したことも。その本の名前は「島あるきハンドブック」といい、深谷さんが執筆された本でした。保全は現状を知らないと出来ないからと、今でも自分の足で向かうことを大切にされている深谷さん。その人柄が詰まった「島あるきハンドブック」、一度手に取ってみてくださいね。