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アメリカスピード違反恐怖体験―50代のオジサン運転人生、免許をいろいろとってみた#3

第2章 アメリカでのスピード違反

 勉強のためにアメリカに行くように言われ、30代の3年間をアメリカで過ごしました。

運転免許取得

 国際運転免許証を持って行くと、実技免除で筆記だけで免許が取れます。近くの警察に行き、試験を受けました。

 日本で免許を取ったときよりもはるかに簡単な出題で、めでたくアメリカの運転免許を取得しました。

ホンダ・アコード・クーペ購入

 アメリカは車がなければ生活できません。キャンパスにいたので、死んでしまうわけではありませんが、車がないとあまりに不自由です。

 アメリカ人の友人にディーラーに連れて行ってもらい、ホンダ・アコード・クーペ、2ドア、左ハンドルの中古車を購入しました。

 日本では販売していない2ドアのアコードです。

 すでに10万マイル(キロに換算すると16万キロ)走っていました。それでも日本車は故障しないということで、決めました。価格は3000ドルくらいだったと思います。

日常の足

 アメリカ滞在中、日常の身近な用事から遠距離ドライブまで、ずいぶんお世話になりました。

 日本車は故障しないという評判でしたが、万が一エンストしてしまった場合、凍死する危険があるので、毛布を積んでおくように言われました。冬は氷点下になります。

 遠距離ドライブもでかけました。一日に乗った距離の最高は600マイル、キロに換算すると960キロくらいです。

スピード違反

 ある日のこと。テストが終わってしばらく羽でも伸ばそうかと、1人でドライブに出かけました。

 目ざす目的地はナイアガラの滝。

 アメリカとカナダの国境にあります。

 一日ほど走れば着くかなと見当をつけ、車を走らせました。

 アメリカでは高速道路のことをインターステートといいます。高速料金は無料です。

 しばらく走って、フト見ると、橋けたの下のところにパトカーが止まっていました。

 「何か取り締まりでもしてるのかな」

と、人ごとのようにそこを通り越しました。

 ところが、そのパトカーが自分の車の後をついて来ました。

 「だれかを検挙しようとしているのだろう」

などとのんきなことを考えながら、そのまま車を走らせました。

 しばらく走ると、そのパトカーが赤色灯をつけました。サイレンは鳴らさず、そのまましばらく後をつけてきました。

 さらにしばらく走ると、もう一台のパトカーがどこからともなく現れ、自分の車の左側にピタリとパトカーを寄せました。

 自分を追走してきたパトカーとあわせて、前と横から挟まれる感じになって、初めて気づきました。

 「もしかして、オレのことを検挙しようとしているの?」

 まさか自分のことを追いかけているとは思いませんでした。

 なぜ自分のことだと思わなかったかには、理由があります。

 場所は京葉道路。まさに自分の目の前で、パトカーがスピード違反を検挙する場面を目撃しました。

 パトカーが違反車の前に出て、進行方向を阻むように、「そこの車、左に寄せてください」とスピーカーで声をかけます。

 スピード違反の検挙は、そういうやり方だと思い込んでいました。それで、前に出て来ない以上、自分のことではないと勝手に思い込んだわけです。

膝ガクガク

 「やられた」という気持ちが湧き上がってきました。

 静かに右側に車を停車させました。アメリカは右側通行なので、日本と左右が反対になります。

 2台のパトカーから3人の警官が降りてきました。そこで初めて、ことの重大さを認識しました。

 なんと、3人の手には拳銃が握られ、銃口をこちらに向けていました。こちらが怪しいことをしたら、すぐに発砲できる体制でした。

 「窓を開けろ」

 素早い動作は誤解を招くと思い(結構頭の中は冷静)、ゆっくり窓を開けました。さすがに膝がガクガク震え出しました。

 警官の一人がこう言いました。

 「スピード違反、13マイル超過です」

 制限速度60マイル(約96キロ)のところを、73マイル(約117キロ)で走っていたことになります。今思うと、少し厳しい!

 さらに、

 「なぜ警官の指示に従わなかった。警官を無視して○○マイル逃走した」

と畳みかけてきました。

 警官の指示に従うも従わないもない。そもそも指示をしたのかとも思いました。

 数分、警官の追尾を無視したことになったらしく、訳ありの凶悪犯と勘違いされたようです。

 すぐに答えずに、頭の中でグルグル考えました。

 「ここは正直に、わからなかったと言ったほうが、のちのち有利になるか。ある程度、粘ったほうが有利になるか。法律的にはどうだろうか」

などと、けっこう冷静です。頭の中のCPUがフル稼働していました。

 膝をガタガタ震わせながら、しどろもどろの英語で答えました。恐怖心に声も震えました。

 「自分のことを追いかけていると思いませんでした」

 どこから来たかよくわからないアジア人がヘタな英語で一生懸命答えているということで、どうやら凶悪犯ではないと判断してくれたようです。

 3人が銃口をおろしてくれました。そして、応援で駆けつけたパトカーは、どこかに行ってしまいました。

 最初から追走してきたパトカーの警官が、パトカーの中に戻り、何やら書類を書いています。

 時間がかかりそうなので、草むらでも歩こうかと、ドアを開けた途端、後ろのパトカーから声がしました。

 「ステイ・イン・ザ・カー」

 今でも耳にこびりついて離れません。多分、一生涯忘れないでしょう。

2枚のキップ

 しばらく待って、2枚のキップを受け取りました。2枚とも水色でした。

 1枚は、案件の欄に「スピード違反」と書いてありました。もう1枚は、「公務執行妨害」と書いてありました。

 アメリカでは、公務執行妨害は、Automatic Court Appearanceといって、裁判所出頭になります。

 せっかくのドライブもだいなし。すごすごと引き上げました。

ことの顛末

 戻ってすぐに裁判所に電話をかけました。状況を説明して尋ねました。

 「2枚のキップをもらったんですけど、どうしたらイイですか」

 そうしたら、係官がこう聞いてきました。

 「キップは何色ですか」
 「どちらも水色です」
 「おかしいですね。公務執行妨害は水色のはずがありません」


 そう言われたところで、どうしようもありません。困っていたら、係官がこう言いました。

 「公務執行妨害のほうは捨ててイイです。スピード違反は○○ドル小切手で支払ってください」

 ああ、よかった、裁判所などに出頭を命じられたらどうしようと、胸をなでおろしました。

 罰金は即日支払いました。7000円くらいだったかなと記憶しています。

 なぜあの警官は、同じ色のキップを切ったのだろうか。

 いろいろ考えました。

 単純に間違いだったのかもしれないし、アジアから来た哀れな学生にお灸を据えようと、わざとどうでもいい色のキップを切ったのかもしれません。

 真相はわかりません。

 でも、もしそうだったら、

 「あの警官も洒落てるなあ」

なんて、少し笑いながら、あのヒヤヒヤ感をもう一度味わいました。

パトカーが前に出ない理由

 後日、なぜアメリカではスピード違反を検挙するときに、違反車の前にパトカーを走らせないのだろうか考えました。

 すぐにわかりました。もちろん警察署に確認をとったわけではありません。

 アメリカは銃社会なので、自分が前に出れば撃たれてしまいます。それで、警察官は決して前に出ないのだろうと思います。

ほろ苦い思い出を胸に帰国

 アメリカはとにかく広い。どこまでも真っ直ぐな道が続きます。

 アメリカ人はこらえ性が日本人ほどではありませんが、なぜか、ハンドルを握るのはいつまでも平気なようです。

 車にはずいぶんお世話になって、帰国の日を迎えました。

 ほろ苦い思い出を胸に、愛車ホンダ・アコード・クーペは友人にあげました。

続く ―次回は、大型一種、大型二種を取ったときの話しをします。

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