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自分探し巡り②トキワ荘マンガミュージアムを訪れて~巨匠の青春から学ぶ表現の世界

トキワ荘という、未来の漫画家たちが住んだアパートが豊島区にあるのをご存じだろうか。
手塚治虫をはじめ、赤塚不二夫、石ノ森章太郎らが駆け出し時代から仲間とともに漫画の新時代を拓くために切磋琢磨した、おそらく日本で一番有名なアパート。

10数年越しに行くことが叶ったことで、考えることが多かった。
何かの参考になれば幸いです。

上手く描けないことのほうが多い、そんな世界

表現など、人それぞれであろう。ましてや正解の無い、表現の世界はいつの時代も書き手を悩ませる種だと感じる。

漫画は面白ければ売れる。
でもその面白いが何人に響くかによる。
面白いなど、人それぞれだからだ。

絵がうまい、話しの構成がよく出来てる。
今や何万以上の書き手がいる現代において、昨今を創り上げたのは紛れもなく、このトキワ荘の巨匠たちであろうと思う。

狭い4畳半で創り上げられた作品たちに思いを乗せてみる

彼らは何度、描けないを経験しただろう。
描けないなんてあったのだろうか。
原稿を何枚も何枚もぐしゃぐしゃにすることもあっただろうか。
美談が多いなかでも、失敗することのほうが多かったと思う。

複製原稿などを見ていると、描く苦労が見えてくる

いつの時代も悩ましくも深い世界

机の上で走らせる筆の音が聞こえてきそうな、トキワ荘。
この建物は昭和の時代に一度取り壊されている。
当然私は当時のでトキワ荘を知らないわけだが、同じ地にこうしてトキワ荘を再現し、見られるとは漫画を描く私にとっては夢のよう。

編集者と連絡を取り合った電話ボックスまで再現されている

しかしながらやはりというか、再び描き始めると、描けないほうが多い。
子どものころも描けないことはあったが、今のほうが悩ましい。

ネットにアップされた私より上手い人を見る。
昔より描くツールが多彩になり、手が届きやすくなったのもあるだろう。
小中学生でも中々に上手く描くのだ。

当然、妬むとかマイナスの方向には考えてしまう。
でも見るのは描き方、表現の仕方である。
カラーなら塗りの種類、漫画ならコマ割りなど、今も昔も観点は描き方。
内容より先に描き方を見ている。

私はプロでも無い、アマチュアだけども…
トキワ荘の彼らもアマチュアから入ったのだから、きっと同じような気持ちになったこともあるのでは無いだろうか。

ちょっと哀愁を感じた

巨匠から学ぶ表現の世界

ちょうど、尋ねたときは藤子不二雄A先生の企画展が催されていた。
昨年惜しくも亡くなったが、今も語り継がれる大ベテラン漫画家。

その藤子不二雄Ⓐ先生の漫画に”まんが道”というものがある。
本人の自伝的漫画。漫画家を目指す2人の少年の成長物語。
私の世代の漫画で言うと、バクマンが近いのかもしれない。

私も子供のころに読んだことがある。
上京して、漫画家を目指す。それに憧れていた時期もある。
しかしそれはとても険しく、厳しいものだということをまず知ったきっかけが”まんが道”。

トーンもまだ無い時代のお話。やはり観点は表現の方法である。
作品からはその時代で試行錯誤した血と涙と汗の結晶が分かる。

何事もトライ&エラーとは言ったもので、読み手の心情に訴えかけるにはどういうアングルからのコマが良いかあえて映さない人物の影だけの表現など、こだわりが感じられる。

描けば良いというものでは無い。
描き方、表現の方法でそれを感じる瞬間はガラリと変わる。

キラキラとしたものだけでも良いが、時には沼のような暗いものも必要なこともある。
自分の描くものを表現するというのはいかに奥深い世界だろう。

夢もあるし、闇も感じる作風だと感じている

絵を志す者は是非訪れたい聖地

このトキワ荘がある場所はかつては違う町名だったそうだ。
最寄りは落合南長崎という駅が最も近いが、もともとは椎名という地名だったらしい。
駅名イコール地名のイメージがあるので不思議に感じた。
トキワ荘マンガミュージアムのある椎名町はちょっぴり長めの商店街を中心に成り立つ町で、現在はミュージアムに付随する施設が何軒かある。

トキワ荘通りお休み処

コミュニティの場となっている、お休み処や当時あったデパートを再現した小さなミュージアムなど…
時が止まったかのような、トキワ荘の住人たちがわらわらと歩いてきそうなそんな雰囲気がある。

この時は仁-JIN-がメインの学べる漫画を展示していた
本屋さんや時間貸し漫画喫茶のようなコーナーもある

いかがだろうか。
漫画、イラスト、デザインを今まさしく手にして勉強しながら活動をする私にとっては中々に良い学び場であった。

是非今度は漫画を読み漁りに…


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