見出し画像

No.789 梅の花のあたたかさ、梅作咲くころのあたたかさ

「むめ一輪いちりんほとのあたたかさ」
江戸時代前期の俳人服部嵐雪(1654年~1707年)の句です。
 
20歳前後の頃に松尾芭蕉(1644年~1694年)に入門したそうですが、同じ高弟の宝井其角(きかく、1661年~1707年)と並び称された人物で、芭蕉からも「桃と桜」にたとえて信頼され、「両の手に桃と桜や草の餅」と詠まれており、いずれも劣らぬ存在感を示したそうです。
 
その服部嵐雪の「梅一輪」の句ですが、二通りの意味に解釈されており、
① 梅が一輪咲き、わずかだが、一輪ほどの暖かさが感じられる。
② 梅の花が一輪ずつ咲くにつれて、少しずつ暖かくなるようだ。
「ほど」が「程度」を示すのか「時間」を示すのか、そのどちらをも意味しているのか、にわかに判断できません。

① 一輪ずつ梅が蕾を開く度に、温かみを感じるさま。
② 日々寒さが緩んできて、梅のつぼみが花開くさま。
だと考えるなら、「蕾の開花の温かみ」とするか、「日ごとに温かみの増すのを梅の開花で知る」とするのかの味わい方にもよりそうです。一輪咲いた梅の花そのものにフォーカスしていると見るなら①の解釈の方に分があるかもしれません。
 
この温かみは「春」を予感させるものでしょうが、作家の真意がどこにあるのかに迫ろうとするあまり、その抒情性を狭め押し込めたくないなと思ってしまいます。そのどちらの意味も併せ持ち春を待つ豊かな寒梅の開花の世界を詠んだもののように思われます。
 
服部嵐雪没後43年の1750年1月刊の俳句集『玄峰集』(旨原編)「春之部」に、
「      春
 むめ一輪いちりんほどのあたたかさ 」
とありますが、「嵐雪句集」と題箋の付いた江戸期の版本(刊行年不詳)には、
 「      梅
 むめ一輪一りんほどのあたたかさ
    此句ある集に冬の部に入たる
    又おもしろきか  」(虫食いあり)
と左注がありました。この歌が「春」ではなく「冬」の部に入っていたとあることから「寒梅」の解釈も生まれ、より一層春を待つ心を句に読み取る解釈も生まれてくるのでしょう。
 
早くも、昨日、近くの川沿いの白梅が蕾をほころばせ始め、春待ち顔の人の顔もほころばせました。写真は、その1葉です。今から270年以上前の梅も、同じ温かさを人々に伝えていたのですね。