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No.1220 ツーン!

小説家・随筆家の内田百閒(ひゃっけん、1889年~1971年)の「木蓮忌」から1週間が経ちます。裕福な造り酒屋の一人息子として生まれ、何の不自由もなく育ったために、頑固我儘・無愛想な性格だったということが、その写真のお顔にも見て取れるような気がします。

一方で、ユーモアのある人物であり教え子たちから親しまれ愛されたことが映画「まあだだよ」(黒澤明監督、大映映画、1993年)でみごとに描かれています。

その百閒は、狂歌が好きだったようです。江戸時代後期の文人・太田蜀山人(1749年~1823年)の狂歌をもじった歌を並べて自宅の入り口に貼り、来客の心をもてあそぶ程の品の良さ(?)です。
「世の中に 人の来るこそ うるさけれ とはいふものの お前ではなし」
(太田蜀山人)
「世の中に 人の来るこそ うれしけれ とはいふものの お前ではなし」
(内田百閒)

蜀山人の狂歌で、来客に
「『うるさけれ』が、俺のことじゃなくって良かった!」
と安心させ、すぐ次の百閒の狂歌で、
「『うれしけれ』は、俺のことじゃなかったんかい!」
と来客をガッカリさせて喜ぶ悪趣味ぶりを発揮します。

さて、狂歌と言えば、江戸時代中期に生きた国学者・俳人横井也有(1702年~1783年)も負けてはいません。「老人へ教訓の歌の事」と題した七つの狂歌を読んで「あるある!」「そうだそうだ!」と腹を抱えて笑いながらも、老境の私は身につまされて、鼻の奥がツーンとしてくるのです。ゆるりと、ご一読ください。

「皺はよる ほくろはできる 背はかゞむ あたまははげる 毛は白うなる」

「手は震ふ 足はよろつく 齒はぬける 耳は聞えず 目はうとくなる」

「よだたらす 目しるはたえず 鼻たらす とりはずしては 小便もする」

「又しても 同じ噂に 孫じまん 達者じまんに 若きしやれ言」
  
「くどうなる 氣短になる 愚痴になる 思ひつく事 皆古うなる」

「身にそふは 頭巾襟巻 杖眼鏡 たんぽ温石 しゅびん孫の手」

「聞きたがる 死にともながる 淋しがる 出しやばりたがる 世話やきたがる」

東洋文庫207『耳袋 1』(根岸鎮衛著、鈴木棠三編注。平凡社、1972年3月29日初版第1刷発行 P305~P306)より


※画像は、クリエイター・みれのスクラップさんの、「AIで自動生成したイラスト。お年寄りの同窓会。」の1葉の一部です。全体をご紹介しきれずゴメンナサイ。でも、こんな老人たちにシビレてしまいます。みれさんに、お礼を申し上げます。