No.721 未来を包み、未来をはぐくむ季節

今朝の大分市は吐息が白くなり、外気温4℃の寒さでした。1883年(明治16年)に生まれ、1956年(昭和31年)に亡くなった高村光太郎の詩「冬が来た」の冒頭の言葉が思い浮かびました。
 
「きっぱりと冬が来た
 八つ手の白い花も消え
 公孫樹(いちょう)の木もほうきになった
 
 きりきりともみこむような春が来た
 人にいやがられる冬
 草木にそむかれ、虫類に逃げられる冬が来た
 
 冬よ
 ぼくに来い、ぼくに来い
 ぼくは冬の力、冬はぼくの餌食(えじき)だ
 
 しみ透れ、つきぬけ
 火事を出せ、雪で埋めろ
 刃物のような冬が来た」
 
「冬が来た」は高村光太郎の詩集『道程』(1914年)の中にある詩で、『高村光太郎全詩集』(新潮社、1966年)の117番目に収められています。
 
「きっぱりと冬が来た」という表現に、冬の性質を良く言い当て、凛とした空気を誘う冬を正面から受け止める詩人の気概を感じます。今朝は、まさにその印象がありました。
 
光太郎は詩人・歌人ですが、優れた彫刻家です。素材となる原形の木や粘土を刀や箆で削り落とし「命」を創る仕事です。その潔さ、その荒々しさ、その峻厳さが温かい命を育むのでしょう。厳しさゆえに生れ来る「命」の尊さのようなものを詩に感じます。
 
「夏を嫌い、冬を好いた」と言われ「春でも秋でもなく、冬を好いた」とも言われる光太郎には「冬の詩人」の異名もあるくらいです。
 
さて、タイトルもそのままの「冬の詩」(前掲『全集』118番目に所収)の四番は、
「(四)
 冬だ、冬だ、何処もかも冬だ
 高台も冬だ
 馬車馬のやうに勉強する学生よ
 がむしやらに学問と角力(すまふ)をとれ
 負けるな、どんどんと卒業しろ
 インキ壷をぶらさげ小倉の袴をはいた若者よ
 めそめそした青年の憂鬱病にとりつかれるな
 マニュアリストとなるな
 胸を張らし、大地をふみつけて歩け
 大地の力を体感しろ
 汝の全身を波だたせろ
 つきぬけ、やり通せ
 何を措いても生(いのち)を得よ、たつた一つの生(いのち)を得よ
 他人よりも自分だ、社会よりも自己だ、外よりも内だ
 それを攻めろ、そして信じ切れ
 孤独に深入りせよ
 自然を忘れるな、自然をたのめ
 自然に根ざした孤独はとりもなおさず万人に通ずる道だ
 孤独を恐れるな、万人に、わからせようとするな、第二義に生きるな
 根のない感激に耽る事を止めよ
 素(もと)より衆人の口を無視しろ
 比較を好む評判記をわらへ
 ああ、そして人間を感じろ
 愛に生きよ、愛に育て
 冬の峻烈の愛を思へ、裸の愛を見よ
 平和のみ愛の相(すがた)ではない
 平和と慰安とは卑屈者の糧(かて)だ
 ほろりとする人間味と考へるな
 それは循俗味だ
 氷のやうに意力のはちきる自然さを味へ
 いい世界をつくれ
 人間を押し上げろ
 未来を生かせ
 人類のまだ若い事を知れ
 ああ、風に吹かれる小学の生徒よ
 伸びよ、育てよ
 魂をきたへろ、肉をきたへろ
 冬の寒さに肌をさらせ
 冬は未来を包み、未来をはぐくむ
 冬よ、冬よ
 躍れ、叫べ、とどろかせ」
 
「冬は未来を包み、未来をはぐくむ」の言葉に心をつかまれます。受験生たちにとっての冬は、まさしく自分たちの未来を産み育てるための厳しさに耐える季節なのでしょう。詩人の意図した解釈ではないかもしれませんが、「試練の季節」は「未来を創る季節」でもあるように思われてくるのです。

※画像は、クリエイターOSAM IWASAKIさんの作品をかたじけなくしました。「冬の美瑛。何とも荘厳な景色です。」という解説がありました。お礼申します。