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No.1196 生みの親 海の母

「私たちん新婚旅行は、別府ん海岸に行くことじゃった。握り飯だけ持っち行ったわ。別府ん店屋じウニクラゲを買(こ)うちな、それをお握りにつけち、海見ながら食べたんで。そりゃ美味しかった!」
 
昨日は、10年前に85歳で亡くなった母が語っていたそんな昔話を思い出しながら、海を見に一人で歩いて行きました。わが家から新日本製鉄の臨海工業地帯(原川)まで片道1時間ほどです。「疒」+「春」の「浮かれ出る心」に誘われて、初めての道を尋ねたずねて行きました。
 
画像は、昨日のその1葉です。終日曇天だったことと黄砂のために遠くがぼやけてしまいました。コンビニでおにぎりを買い、岸壁に腰かけて海を眺めて食べました。海の匂いと心地よい風が小さな旅情に味方してくれました。
 
三好達治(1900年~1963年)の第一詩集『測量船』(1930年)の中に「郷愁」という詩があります。

郷愁
蝶のやうな私の郷愁!……。蝶はいくつか籬を越え、午後の街角に海を見る……。私は壁に海を聴く……。私は本を閉ぢる。私は壁に凭れる。隣りの部屋で二時が打つ。「海、遠い海よ! と私は紙にしたためる。――海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」

(青空文庫より)

「海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」
の一節は、日本語(漢字)とフランス語との不思議な発想が指摘されています。いわく、
日本語…「海」の中に「母」がいる。
フランス語…「mere(母)」の中に「mer(海)」がある。
 
若い達治のユニークにして斬新な視点です。太古の昔、海は全ての生命の源となりました。まさに「母なる海」なのだと思います。
 
「亡き母や 海見る度に 見る度に」(『七番日記』)    
 は、江戸時代後期の俳人・小林一茶(1763年~1828年)の句です。信州長野の柏原村で百姓の長男として生まれた一茶は、3歳で母に死別し母の愛を知らずに育ったそうです。その一茶が、目の前の広々とした海を眺めるたびに、自分を優しく包みこんでくれる母への思慕と重なったのかもしれません。一茶47歳の時の句だと言われます。

今から210年以上も前に、一茶も海の中に母を見ていたのですね。
「おかーさーん!」と…。