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No.1075 あらたまの

異論・反論・オブジェクションかも知れません。

還暦を迎える辺りから欠礼状が増え始めました。もっとも、令和に入ったあたりから、虚礼廃止の機運の高まりやSNS利用の賀状の交信が見られるようになり、年賀状のやり取りが少なくなりつつあります。「故人のことをラフに描いた肖像画」、私にとって「欠礼状」は、そんな意味のお便りと観じています。

「喪中の期間中に新年を迎えるときには、年賀欠礼状を出す習慣があります。喪の期間の基準となっているのは、明治時代に作られた忌服規定であり、両親が死んだ時で1年夫1年、妻3カ月、子供・兄弟は3カ月、祖父母は5カ月、叔父叔母は3カ月となっています。 しかし、現代では細かい規定でなく、欠礼は一律に亡くなってから1年としているのが普通です。」

とネットの記事でその詳細を初めて知ったのは、6年も前のことです。

ある年、教え子から届いた喪服葉書には、
 「(略)こちらからは年賀状をお届けできませんが、皆様から毎年届く年賀状をとても楽しみにしています。こちらの喪中に関係なくお送りいただけましたら幸いです。(略)」
とありました。とても嬉しい申し出であり、筆者の思いを尊重しました。
 
今年頂戴している年賀欠礼状の中に、年賀状終い(「終活年賀状」?)のお便りが2枚ありました。だんだん、人とのご縁が断ち切られるようで、一入寂しさの増す季節です。
 
2022年「第8回ハガキの名文コンクール」の中に、こんな1枚があります。
 

佳作 (兵庫県 男性 69歳)
友よ、お前はアホか。
賀状終いなんて誰に言っているんだ。
お互い退職し、年に一回会うこともなくなったが、お前の存在確認ができないではないか。
俺の存在確認はどうするんだ。
「自惚れるな、比重が違うんだ」と言われれば仕方ないが、取り敢えず俺は出し続けるよ。
高校受験の時、切磋琢磨した記憶が今も鮮明に残っている。
だから、俺の存在は通知するよ。

私は、この男性の側に立ちます。相手を思い、一言添えて新年を迎えることの出来る気持ちよさは、感謝の思いでもあります。書き続けられる間は「文字言葉の訪い」の捨て難い魅力に身を委ねたいと思っています。


※画像は、クリエイター・みけ*るーちぇさんの2023年の年賀状「平和と幸せ祈願 うさぎ」の1葉をかたじけなくしました。その卯年もあと1か月、いや、まだ1か月ありますね。