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No.1007 あっ!どこでもドア!

昨日は、月2回の「古典講座」(第1・第3水曜日の午前中)の日でした。平安時代中期の菅原孝標女(たかすえのむすめ)の作品『更級日記』が題材です。父の孝標は、天満天神ともあがめられる菅原道真の玄孫(やしゃご)にあたります。

彼女の願いはただ一つ、父孝標の任国・上総の国で等身に薬師仏を造ってもらい、
「京に疾(と)く上げ給ひて、物語の多く候ふなる、ある限り見せ給へ。」
(一刻も早く上京させて頂き、物語がたくさんあると聞く、その物語を全て見せて下さい。)
ということでした。手を清め、額を床にすりつけるようにして一心に祈りました。

13歳になった年(1020年?)願いが叶えられ、上総の国を出発。3か月にも及ぶ道中でしたが、無事に上京を果たします。そして、田舎から上京してきたと言うおばさんから、とんでもないプレゼントをもらうのです。

(本文)「いとうつくしう生ひなりにけり。」など、あはれがり、めづらしがりて、帰るに、「何をか奉らむ。まめまめしきものは、まさなかりなむ。ゆかしくし給ふなるものを奉らむ。」とて、源氏の五十余巻、櫃に入りながら、在中将・とほぎみ・せりかは・しらら・あさうづなどいふ物語ども、一袋取り入れて、得て帰る心地のうれしさぞいみじきや。
(口語訳)「とっても可愛らしく育ったわね!」などと言って、しみじみと愛おしみ、珍しがってくれ、私がおいとまする時に、「何を差し上げようかしら。実用的なものは、つまらないでしょう。あなたが読みたがっていらっしゃると聞いている物を差し上げましょう。」と言って、『源氏物語』の五十余巻を、櫃に入ったまま、その上、『在中将』『とほぎみ』『せりかは』『しらら』『あさうづ』などという物語類まで、袋いっぱいに入れてくれ、もらって帰るときの私の気持ちの嬉しさといったら、言いようもないほど素晴らしいものでした。

もう、ほとんど夢見心地で帰宅したのではないでしょうか。念願の本に囲まれ、一日中読書三昧、夜も眠くなるまで本を放さなかったと言いますから、どんだけ~!な本好き少女でした。
 
『源氏物語』は、1008年ごろに紫式部が35歳前後で書き上げられたものと考えられているようです。400字詰め原稿用紙なら約2,400枚もの分量になると言います。印刷技術はありませんから、筆で書き写すしかありません。そうやって出来上がった54帖を、他の物語ともども与えてくれると言うのですから、よほど財力のあるおばだったと思われます。
 
私は、孝標女ほど長く、熱心に神仏に祈願を続けたことはありません。その願いが叶えられた彼女の喜びの大きさが「得て帰る心地のうれしさぞいみじきや」(今まで生きてきた中で一番嬉しい!)とも「后の位も何にかはせむ!」(お妃さまの位も比較にならない程『源氏物語』は素晴らしい!)とも言わしめたのでしょう。
 
そんな感動を仲間の皆さんと共有しながら、昨日8年目にして成った200回目の講座を無事に終えました。文化教室から自宅までの6kmを90分かけて歩いて帰りました。日中は30度でしたが、風が気持ちよく吹いており、頭皮が焦げ付くような暑さではありませんでしたし、汗も滴ると言うほどではありませんでした。
 
大分市に萩原と言うバス停がありますが、その近くに来た時、ピンクのドアだけが店の前「気を付け!」の姿勢で立っていました。私が「あっ!」と驚いたのと、お客さんらしい男性が店の主と思われる人と話した声が聞こえたのが同時でした。
「これですか!萩原にできた『どこでもドア』っていうのは!」
「そうなんですよ。まあ、見てやってくださいよ!」
 
それが、トップ画像の1枚です。ペンキ屋さんが、デモンストレーション(オブジェ?)にと店先にショッキングなピンク色のドアだけを立て(建て?)ていたのです。思わず、
「1枚、撮らせていただいてもいいですか?」
とご主人に声をかけて撮った写真です。
 
ドアを開けたら、どんな世界に連れて行ってくれるのだろう?このまま、我が家までワープしてくれたらいいな、などとちょっと子供じみた妄想をしてしまいましたが、実際にドアノブを押し開けて目の前の現実を見せられたら面白みが半減するので、そのスックとした華麗な立ち姿だけ写しました。ペンキ屋さんのその「大人の遊び心」に、なんだかひどく興奮してしまい、記念の日に出合えた感動がプラスされました。
 
ところで、「華大」こと「博多華丸・大吉」という漫才コンビに「ドラえもんのひみつ道具」というネタがあるのをご存知ですか?これが、なかなか唸らせる内容と展開で、抱腹絶倒の面白さです。ユーチューブでご覧になれます。ええ、出てきますよ「どこでもドア」が!