見出し画像

No.1009 視るべきは?

もう四半世紀以上も前の、教え子の結婚式に出席した時のお話です。鹿児島での結婚式と言うことで、特急「にちりん」に乗って出かけました。
 
「わが胸の燃ゆる思ひにくらぶれば煙はうすし桜島山」
(福岡藩士・平野国臣)
 
真っ青な空に入道雲のような噴煙が立ち上り、その日の桜島は壮観でした。島の麓で産湯を浴びた鄙には稀な美人をめとった教え子の表情は清々しく、輝いて見えました。披露宴の席に連なった140人の中には、九州はもちろん、大阪、秋田から駆け付けた友人たちもいました。
 
中国は紀元前3世紀ごろの戦国時代末期の学者・荀況の著した『荀子』(性悪篇 第二十三 ―不知其子、視其友―)に、
「其の子を知らざれば、其の友を視よ。」
の言葉があります。
「わが子の人柄がわからなければ、その友達を見なさい。」
と、荀子は説いています。
 
世代間の断絶が言われて久しい世の中ですが、我が娘や息子が何を考えているのか分からないと言う親がいます。昔の価値観は通じにくくなっており、むしろ、分からないのが当然と居直るくらいがよいのかもしれません。しかし、「類は友を呼ぶ」の謂いもあり、子どもの友を視れば、我が子がどんな子かがわかるという考え方は、肯えるように思います。
 
そこには、酒に酔っていてもスピーチの時にはちゃんと聞き、余興の時には盛り上がる(上げる?)、祝いの気持ちがそこここに感じられ、心に強く残る披露宴がありました。教え子の父は、
「人に恵まれました!」
と涙を流しながらお礼の挨拶をしました。気持ちよく帰ってきました。
 
さて、『荀子』には、さらに言葉が続いており、
「其の君子を知らざれば、其の左右を視よ。」
靡而已矣(びのみ)。靡而已矣。
とも説くのです。
「その君主の人柄がわからなければ、その側近たちを視なさい。」
納得。納得。
 
「左右」とは「左右の大臣、側近たち、知恵袋」のことでしょう。トップを取り巻く人々を視れば、トップがどんな人物かが分かると指摘するのです。社長の左右、首長の左右、首相・大統領の左右は、どんな人たちなのでしょう?もっとも、彼らを知らなくても、トップを見ていれば、逆に何となく分かるような気もしてくるのですが…。納得! 納得?


※画像はクリエイター「STS_Photo"ismあなたに魅せたい写真があります」さんの、タイトル「夏空と桜島と錦江湾」をかたじけなくしました。
これぞ、桜島!お礼申し上げます。