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No.505 「気づき」よこんにちは

「兄の宗一といっしょに、浩は駅の貨車積みのホームへ行き、鉄のスクラップの山をあさって、一本ずつ古い小刀を拾った。二本ともさびきっていたので、家へ戻って、二人は砥石を並べて我を忘れて研いだ。時々刃に水を掛けて指でぬぐい、研げた具合を見るのが楽しみだった。浩の小刀はよく光り、刃先へ向かって傾斜している面には、唇が映った。宗一の小刀は、その面の縁だけが環状に光っていて、中央にはさびたままの、くぼんだ部分を残していた。
 浩は、自分は丸刃にしてしまったが、兄さんは平らに研いだ、と思った。浩は自分が時間を浪費して、しかも、取り返しがつかないことをしてしまったように思い、周到だった兄をうらやんだ。浩は心の動揺を隠そうとして、黙ってまた砥石に向かった。横にいる宗一が意識されてならなかった。彼が横にいるだけで浩は牽制されてしまい、自然と負けていくように思えた。しかし浩は並んで研いだ。宗一がどんなふうに研ぐか気になったからだ。宗一はやっていることにふけっていた。浩は自分もふけっているように見せ掛けた。浩には時間が長く感じられた。自分が人をこんな思いにすることがあるのだろうか、と彼は思った。
 浩は自分の小刀で手のひらを切って、宗一に見せるようにした。宗一はそれに気付き、目を上げて浩を見た。浩は自分から宗一の視線の前へ出て行った気がした。宗一をだました自信はなかった。宗一は研いでいた小刀を浩に差し出して、
――これをやらあ、と言った。そして今まで浩が研いでいた小刀を、研ぎ始めた。
――けがはどうしっか、と浩は聞いた。彼はもううその後始末の仕方を、宗一に求めている気持ちになっていた。
――けがか、ポンプで洗って、手ぬぐいで押さえていよ、と宗一は言った。
――・・・・・・。
――おまえんのも切れるようにしてやるんて、痛くても我慢して待っていよ。
浩はポンプを片手で押して、傷に水を掛けた。血は次から次へと出てきて、水に混じってコンクリートの枠の中へ落ち、彼に魚屋の流し場を思わせた。彼はその流れ具合を見て、これがぼくの気持ちだ、どうしたら兄さんのように締まった気持ちになれるだろう、と思った。宗一は巧みに力を込めて研いでいた。浩はその砥石が、規則正しく前後に揺れているのを見守っていた。すべてが宗一に調子を合わせて進んでいた。」
 
掌編小説「物と心」は、小川国夫が1966年(昭和41年)に発表した作品だそうです。兄の研ぎが意識されてならない弟と、弟のことなど眼中になく一途に無心に研ぎに耽っている兄との心の温度差がたまりません。そのうちに、弟がわざと手を切るあざとさに打って出て、兄の前に裸の心を示すのですが、そうやって初めて、兄は弟の気持ちを黙って推し量ります。弟の惨めさは、傷口の血交じりの赤い水が代弁しているかのようです。無心(無我)の境地の兄と有心(雑念)だらけの弟。弟浩の兄宗一に向けられていた気持ちが、一気に自分に向けられ内省するようになる辺りの心の微妙な変化の軌跡は、次男の私には手に取るようで、痛々しいまでに思えてきます。
 
しかし、浩は自己を内省し「気づく」のです。何事にもひたすらに打ち込んで、周りに左右されない自分らしい生き方にいつになったらなれるのだろうかと。その時、浩はもう兄宗一の心のありようにも似て、自分の思いに集中して無心に考えていたのです。彼は、この小さな事件を機に、兄に近づき始めたのではないかと思います。いかな兄とは言え、磨いてもらったナイフに浩は矜持が抱けるものなのか、そんな疑問も指摘されます。ある意味ライバルであり憧れである兄に、「気づき」を力に迫り始めた浩のお話です。

一遍上人の生き方に共感したと言われる詩人・坂村真民(1909年~2006年)は、「念ずれば花ひらく」や「二度とない人生だから」の詩でも有名ですが、「鈍刀を磨く」という詩もあります。
  
  鈍刀を磨く  

鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を借す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかもしれないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬと言いながら
磨く本人を
光るものにしてくれるのだ
そこが甚深微妙の世界だ
だからせっせと磨くのだ
 
この詩を読むにつけ、刀は光ったけれど平らに遂げなかった弟浩は、兄の「無心の研ぎ」を見る事で、彼自身の心が磨かれて行ったのかも知れないと思うようになりました。次男の私にも当てはまる研ぎの心でした。
 
その真民は、こんなことも言ったそうです。
「病気よし、失恋よし、不幸よし、失敗もよし、泣きながらパンを食うもよし、大事なことは、そのことを通して、自分を人間らしくしてゆくことだ。人のいたみのわかる人が、本当の人間なのだ。」 

ここでも世界の紛争の指導者たちは、人間扱いされていないようです。