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No.629 今日もあり、おほけなくも。

2003年(平成15年)1月24日発行の学級通信「Sain」(第199号)のコラムに、
 「昨日の終礼後、クラスの生徒達が、学級通信発行5、000号達成を記念して、クラッカーで祝福してくれた。背面黒板には様々の祝意が文字やイラストになって描かれていた。
 嬉しかった。卒業生みんなのことも思い出され、瞬時に脳裡を駆け抜けた。不覚にも涙がこぼれそうになった。人は『心』で動かされる。クラスの生徒の優しい心が身に染みてきて、熱い物がこみ上げた。
 午後3時からOBSラジオのトピッカーが取材に来てくれ、生放送で、通信のことを取り上げてくれた。エンディング曲をリクエストさせてくれた。『涙そうそう』をお願いした。生徒達にお礼がしたかった。」
と書いてありました。
 
私は「昭和」から「平成」に改元された年の4月8日から「毎日学級通信」を書き始めました。14年目にして発行5,000号に達し、地方紙ですが大分合同新聞が取り上げてくれ、いろんな方から反響をいただくことが出来ました。新聞の力は偉大です。

新聞に載った2週間後に、未知の方でしたが埼玉県の高校教師・早坂先生から上掲の絵手紙を送っていただきました。なんでも、大分の知人から大分合同新聞記事が送られて来て知った由です。もう痺れました。その絵手紙にも、早坂先生のお心遣いにも。

先生ご自身も、学級通信を発行されており、他人事のようには思えなかったと言ってくださいました。私は、悪戦苦闘の連続でしたが、途中で筆を折らずに続けてよかったと、つくづく思いました。なぜなら、諦めなかったおかげで、こんなにも素晴らしい宝物に出合えたからです。以来19年、お互いが定年退職した後も交流を続けてくださっています。

先日、上京する機会がありました。ご迷惑を承知で連絡を差し上げたら、都合をつけて会ってくださいました。先生も私も、体のあちこちが痛み始めており、「無病息災」ならぬ「二三病息災」(某畏友の名言)ですが、いつも、私の先を進んでおられる人生の先輩です。私の大事な羅針盤です。

「今日モアリ、オホケナクモ」
1957年(昭和32年)に、柳宗悦の詞に棟方志功が板を掘った作品があります。
「おそれ多くも、今日も生きています。」
という意味でしょうか。一人で生きているつもりでも、多くの人の手を患わせ、人々のお陰で生きられているのかも知れません。自然と心の中で手をあわせたくなるのです。

早坂先生は、今も絵手紙の教室で絵筆をふるっておられます。先生に再会して、心の根に水やりが出来たように思い感謝しているのです。今日から9月が始まります。

先生が下さった宝物には、次のような絵手紙もあります。