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No.990 言葉の沼からの大脱出

2001年(平成13年)6月19日に放送されたNHKの「プロジェクトX~挑戦者たち~」は、「父と息子 執念燃ゆ 大辞典 〜30年・空前の言葉探し〜」のタイトルでした。「父と息子」とは新村 出と新村 猛のこと、「大辞典」とは広辞苑のことです。
 
この日の「プロジェクトX」は、戦後初の大国語辞典を採り上げたもので、「一家庭に一冊の必需品」と謳われた「広辞苑」誕生のドラマでした。
 
言語学者の新村 出(いづる:1876年~1967年)は、京都大学教授でしたが、太平洋戦争以前から25年もかけて、日本の言葉を網羅した国語辞典の作成を夢見ていました。
 
息子の猛(1905年~1992年)は、同志社大学予科教授でしたが、反ファシズム運動に関わり、太平洋戦争より前の1937年(昭和12年)に治安維持法違反により特高(特別高等警察)に逮捕されました。しかし、2年後に釈放され、父・出が1935年から編纂を進めていた国語辞書の改定作業に二人三脚で取り組むようになりました。
 
「slow but steady」
(ゆっくりだが、着実に!)
が親子の合言葉だったそうです。ようやく出来上がった原稿を東京の印刷所に持っていきました。ところが、第二次大戦がはじまり、1945年4月の東京大空襲のために印刷所は焼け、辞書の原稿も灰になってしまいました。
 
それでも、新村親子の辞典への夢は衰えませんでした。幸い、版下の清刷りが数通保管されていました。「新時代に有益な辞書を、何としても世に送り出したい。」との強い思いが、新村親子を中心とするプロジェクトチームに繋がっていきます。戦争直後のことで、「ノルマ」「アルバイト」「吊り革」といった新語などもどんどん加えられていったそうです。
 
さまざまな紆余曲折を経て、1955年(昭和30年)5月、記念すべき『広辞苑』(第1刷)が発行されました。20万語もの言葉を採録した「多くの言葉の園」(広辞苑)は、年間12万部も販売する大ベストセラーとなりました。新村 出は、80歳を迎えていました。
 
「やればやるほど、言葉の底なし沼に引きずり込まれ、終わりが見えませんでした。」
とプロジェクトチームの一人が振り返りました。眉間のしわは、その証のように思われました。
 
昭和の初めに辞書作りを目指してから30年、ようやくその姿を現した『広辞苑』は、田舎の農村の我が家にもありました。父が買ったものと思われます。それだけに、新村親子の情熱によって成ったこの偉業を、胸が詰まるほど感激しながら見たのでした。
 
その『広辞苑』の発行については以下のような経緯です。平成に入ってからは10年のスパンで改定や補訂がなされているようです。
1955年(昭和30年) 5月25日 第1刷発行
1969年(昭和44年) 5月16日 第2版発行
1976年(昭和51年)12月 1日 第2版補訂版発行
1983年(昭和58年)12月 6日 第3版発行
1991年(平成 3年)11月15日 第4版発行
1998年(平成10年)11月11日 第5版発行
2008年(平成20年) 1月11日 第6版発行
2018年(平成30年) 1月12日 第7版発行
 
今や最新版ではないかもしれませんが、電子辞書にも取り込まれています。また、広辞苑アプリや広辞苑デジタル版もあります。紙媒体への根強い人気もあるでしょうが、選択肢が1つではない有り難い時代をむかえています。今年は、初版発行から68年目です。


※画像は、クリエイター・ドミノさんの、タイトル「広辞苑を読む 1」の1葉をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。