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No.679 戦禍にあえいだ老女の話から

NHK連続テレビ小説『本日も晴天なり』は、1981年(昭和56年)の10月から半年間放送されました。1926年(昭和元年)に東京人形町に生まれた主人公・桂木元子(原日出子)が、NHKのアナウンサー、戦後はルポライターや作家として歩んでいく姿を昭和の世相を二重写しにしながら描いた作品です。その平均視聴率は36,6%、最高視聴率は43,3%だったと言いますから、驚異の数字です。
 
その桂木元子にはモデルがいたそうです。元・NHKアナウンサーだった近藤富枝(1922年~2016年)さんです。東京女子大学国語専攻部を卒業した彼女は、文部省教学局国語課に勤務しますが、翌年にはNHKに入局して1年余りアナウンサーとして働きました。その後、ルポライターとなり、またエッセイストとして活躍されました。多くの才能を発揮した人物のようです。
 
今年の10月から、『本日も晴天なり』の再放送がNHKBS(午前7:15~7:30)で行われています。まだ20数話目です。日本は太平洋戦争に突入し、戦況は悪くなる一方です。先日の放送では、遂にアメリカ軍が沖縄に上陸したというニュースがラジオから流れ、家族は一億玉砕の決意を新たにしていました。終戦までのカウントダウンが始まっていました。

数日前のことですが、数年来の知己である90歳のS子さんから戦時中の話を伺う機会を得ました。
「話したって、わかってくれる年代の人が周りにいなくなったから話さないんです。」
と貝のように口をつぐんでいましたが、しばらく話しているうちに、重い口を開いてくれました。

戦前に父親の仕事の関係で家族して北朝鮮に渡ったそうです。昭和7年生まれのS子さんは、終戦の年に12、3歳でした。そして、ソ連が突如対日宣戦布告をしたのが1945年8月8日(8月9日~9月5日の小一か月間参戦)のことでした。まさに終戦前夜の暴挙でした。

そのことは、山崎豊子の小説『大地の子』でも描かれていたと思いますが、ロシア兵の暴行は目に余るものがあったといいます。S子さんの家族も、ロシア兵たちに脅かされる生活を余儀なくされました。家にいれば姉もろとも連れ出されて乱暴される危険がありました。そこで、家を離れ、夜は野宿して難を逃れたといいます。その心中はいかばかりだったでしょう。思い出したくもない過去の扉を私は開かせてしまったのかもしれません。

しかし、戦争体験者が少なくなっていく中、生き証人として戦争を風化させるわけにはいかないと考え、S子さんは伝える勇気を出したのではないかと想像しました。

あれほど穏やかで優しさの塊のようなS子さんが、当時のソ連兵に対する敵愾心や強い嫌悪感もあってか、侮蔑的なニュアンスの言葉を隠そうとしなかったのは、そんな理由があったからだと思い知りました。

日中戦争、太平洋戦争のさなか、日本兵が中国や他国の人々に精神的肉体的苦痛を与えたことを思う時、S子さんの怒りや嫌悪がブーメランのように戻ってくるのを日本人として感じないわけにいきませんでした。憎むべき恐るべきは、戦争であり、戦争中の兵士の心理であり、その教育だと思われます。世界に紛争の火種がくすぶる今日、忘れてはならない人権問題だと思いました。

※画像は、クリエイター・nanakoさんの、タイトル「I wish Peaceful world.」をかたじけなくしました。お礼を申し上げます。