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臨界点で学ぶ、信じることの大切さ。

すっげーもう、とてつもなく後悔したことってありますか?


なんか、会社の新人が顔真っ赤にしながら企画を考えて奔走している姿を見て、思い出すことがあったので、今日はそんな自分のやっちまったことを掘り起こします。


ちなみに、私の遭遇した、いや起こした後悔エピソードはこちら。



“1億4千万円の入札案件を役員承認無しで応札



はい、こちらは一塊のノーマルサラリーマンにとっては、懲戒免職は免れない事態です。それでは、ことの顛末とそこからの学びを展開します。


【1億4千万円の入札案件を独断応札】

今から数年前の話です。私がNIerに居たころ、某独立行政法人を担当していました。

その年、同法人の中央計算機N/Wのリプレース案件があり、ビビりにビビり、ビビり倒した挙句、原価スレスレの価格(約140M)で応札をしました。厳密にいうと、このときは商流を組んでの応札でしたので、実際に応札したのは私ではなく、プライム業者という構図です。


【入札スキーム】
私の居た会社 → A社 → B社(プライム) → 応札


まぁ、この商流を組んでの応札はよくあることです。このときのケースのように大型施設のN/Wなどになると、取り扱う商材も多岐に渡り、1社で全ての仕様をカバーするのは難しく、それこそ超大企業(IBM、HPE、DELL、富士通とか)だけが可能な領域となっています。



いわば、チームを組んで応札したというイメージです。
※かなり美化した表現ですが・・・




さて、結果から申し上げますと、この入札、無事落札しました。




しかし・・・




蓋を開けてみたら、1社入札という惨事。



詳しい内容を説明します。



【ビビった挙句、1社入札だった場合の惨事】

入札案件はご存知の通り、最安の価格で応札したものが落札する仕組みです。この時のケースのように1社入札(現在は各省庁や自治体共に1社入札を避ける傾向)の場合は、予定価格(案件の予算のようなもので、上限額)ギリギリで応札して、しっかり利益を取る、どれだけ利益を得た状態で落札するかというところが腕の見せ所みたいなところがあります。



こういったケースを避けるためには、何といっても競合の応札状況や商流を組んでいるチームとの密な情報交換、信頼関係が必須条件です。



しかし、当時の私は商流内でのプレゼンスも弱い挙句、小心者、結果的にはうまいことチーム内で使われてしまう格好の餌食でした。



いかに餌食かというと、商流の中では、最もクライアントと遠い存在であった私が、次の商流にいるA社に原価スレスレ価格を提示することで、A社はたっぷり利益を乗せた上で、次のB社に価格を提示できるということです。




まぁ、これよくよく考えると、B社は要らないってことに気づきますでしょうか?



はい、A社がプライムなのはわかりますが、B社が私のいた会社とA社の間に入る意味がないのです。。。仮に、B社でないといけない理由(B社が独占で扱っている商材がある等)があれば、話は分かります。しかし、この時はそんなこともなく、ただただ商流の間にいたという状況です。



この会計年度、B社の担当営業は、ずっとこのスタンスで中間商流に居座っていました。



ちなみにB社がこのようなことができた理由としては、B社がこの独立行政法人の一部のシステムコンサルを請け負っていたためです。構造としては、B社がコンサルをして案件を創出し、A社と私の会社と組んで応札する、というスキームです。



したがって、B社は毎回商流の間にいることで、その数%の粗利だけを取っていくことができます。要は、スルーってやつです。



今考えると、このときの私はかなり消耗してました・・・・
自分の未熟さと世間知らずさから、A社とB社の担当者にコントロールされ、結果墓穴を掘ったということです。



色々原因はありますが、ここで、一番悔やまれるのは、


「なぜ私は当時の上司を信じられなかったのか?」です。


通常、このくらいの規模の案件の場合は、担当部長や役員を交ぜたレビューを行い、案件状況や競合についての情報を考慮して議論した上で、最終的な応札金額を“会社として”決定します。



勿論、このときも役員レビューを経ての価格決定でした。



尚、このときの社内での総意としては、競合状況が不明確であり、かつ状況的に1社入札の可能性が高いことから、利益を潤沢に採った上で価格提示すべき、という判断でした。(結果は、まさにこの読み通りでした。)



ちなみにこの読みをドンピシャで当てたのは、当時私の上司であったマネージャーです。



にも関わらず、私が寸でのところで、A社やB社の担当者から煽られ、テンパって、未承認の見積を作ったというのがことの顛末です。今考えると、何でこんな判断したのかなとも思えますが、当時は毎日必死にしがみついてる感じでした。



結論から言うと、この顛末で約2,000万円の利益を逃しました。
この2,000万円は見事にA社とB社に載ったわけです。



数年経って、この記事を書いていても、自分への憤りが抑えきれないのですが、何よりも、当時の上司を信じず、独断で行動をしてしまったことに後悔と反省の念が残っています。



直接この件が原因ではありませんが、その後私は当時の会社を退職することになり、今に至っていますが、この経験を通して、仕事で最も大切にしている考え方を身につけることができました。



“自分が信じたいものを信じること。”



忙殺されているときや、数字や結果に追われている時は特にです。



当たり前ですが、これでどうなろうと後悔なんてしません。上司や同僚を信じるのも自分の責任ですし、自分自身が信じたいと思ったのであればそれが正解ですし、後々負けようが失敗しようとも後悔はないはずです。


勿論、上司や取引先の話が常に信じるに値するとは思いません。そのため、敢えて、「信じたいもの」と記述しました。



つまり、どんな場面であれ、重要な決断を要する時には、自分の信じたいものに対して一点の曇りなく、信じたいものに懸けてみることが大切です。


とはいえ、人間なので失敗や損失は繰り返すものですが、少なくともこのように考えるようになって、自分の言動に迷いや後悔はなくなりました。


今、何かに追われていたり、忙殺されて我を失いつつある人は改めて自分の胸に聞いてみてください。


それ、信じていいのか?


それでは、また。

いや、むしろ僕が好きです。