船

生命どぅ宝 王府が出した人命救助の表彰状


琉球国には、厳格な身分制度が存在し
平民と士族の間には、越えられない壁というものがありました。
しかし、それでも、事、人命が懸かる事においては、
身分の上下に関わらず、救助する事が賞讃に値するという
認識があった事が分かる表彰状が存在します。

1751年 符世枚に与えられた人命救助の表彰状


それは、1751年、漂流した唐人(中国人)を本国に送り届ける
護送の任務を負った楷船の船長、符世枚(多嘉良筑登之親雲上)が
誤って船から落ちた、水主(船員)を救助した事で
王府からもらった表彰状でした。

※楷船とは、進貢船の中古品で武装を取り外し、
唐人の護送や、薩摩や八重山への運航に使用


こちらは、中国人を護送した帰途、温州府の沖合で、
船員の知念というものが、帆に登って作業をしていたものが、
誤って海に転落したというものです。
運が悪い事に、その時は順風であり、帆を降ろしても
船は前進する一方でした。

そこで、符世枚は機転を利かして、碇を放り込み、
いわば車でいう急ブレーキを掛けてようやく船を停止させ
水夫を総動員して、知念を救助したというものでした。
全速力で走っている船を碇を投じて止めるというのは、
船を傷めたり、積荷に傷がつく恐れもありますが、
緊急事態であるという事で決断したのでしょう。

人命救助は称えられるものであるという王府の態度


ここから分かるのは、王府は船を傷つけるような符世枚の
急ブレーキを咎めるどころか、末端の船員である知念を救った事を
素晴らしい行いであると賞賛している事です。

これが、船の重要なスタッフなら、表彰されても不思議はないですが
士族でもなさそうな水夫、知念の為に、表彰がなされた事に
当時の王府の人命は士族でも平民でも変わらず尊いという
思想が見て取れるように思うのですが、いかがでしょうか?

参考文献
http://ir.lib.u-ryukyu.ac.jp/bitstream/20.500.12000/29914/6/jinken21text.pdf


王府の政治は残忍酷薄で、平民などは虫けら扱いだったという
考えが流布している昨今、実際に、そういう酷薄な役人もいたでしょうが
そんな人間ばかりなら、どこかのポイントで革命が起きて
王府は倒れていたのではないかと思います。

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