火事

沖縄県民が反日になる6つのポイント


日本本土から見ると、
いつもはフレンドリーに見える沖縄県民が、
急に反日的な言動を取るように見えるようです。
しかし、沖縄在住の私から見ると県民の大半は、
完全に日本人意識であり反日ではありません。

ただ、沖縄では反日意識が盛り上がるポイントがあって、
そこを踏まえないと地雷を踏む事になるでしょう。

そこで、当ブログでは沖縄人目線から、
沖縄県民が反日になるポイントを解説します。

1 米軍基地にまつわる凶悪犯罪の直後


これを何で?という人はもう少し沖縄を勉強しましょう。
沖縄本島の面積における米軍基地の面積は18、8%
つまり、5分の1の面積がアメリカの基地なのです。

こんなに密度の濃い米軍基地を持つ都道府県は、
他にはないでしょうし、沖縄では家に引き籠らない限り
野外でアメリカ人を見ない日はありません。

米軍は26、883人余りが駐屯し、その凶悪犯罪の
発生率に限れば、県民よりも高い数値を記録します。

さらに日米地位協定の壁により、容疑者の米兵が、
県警に逮捕される前に基地に逃げ込むと、
米軍の協力なしに容疑者の身柄引き渡しが出来ません。

1995年の米兵による少女暴行事件は、
容疑者が基地内に逃げ込み、当初、米軍が容疑者の身柄
引き渡しに応じなかった事から県民の怒りが爆発しました。

沖縄では、日米地位協定の存在が当たり前に裁かれるべき
米兵の犯罪者を守る形で機能しています。
それを放置している日本政府に対して県民が反感を持つのは
当然であると言えるでしょう。

あなたが沖縄に来て、米軍の凶悪事件が起きていたなら、
日米安保を盾にアメリカを擁護するような発言は慎みましょう。
それは、まるで次元が違う話にしかならないので・・

2 沖縄特有の記念日の前後


5・15や4・28、6・23と聞いて、何もピンと来ない人は
沖縄初心者であると断言できます。
こういう方は、沖縄県民の反日スイッチを押す恐れがあり
ちゃんと当ブログで意味を理解しておきましょう。

5・15  5月15日、沖縄の日本復帰記念日だが、
     広大な米軍基地が残され、米兵犯罪も無くならないので、
     現在では差別され続ける
     沖縄のシンボル的なメモリアルデー
     日本本土では5・15事件だけど沖縄では違う

4・28  4月28日、日本の主権回復記念日だが、
     沖縄ではサンフランシスコ講和条約で
     日本本土から沖縄県が切り離され、
     27年間に及ぶ米軍支配が決定した日である。
     このような日に日の丸を振って歩くと
     白眼視されるので注意

6・23  6月23日、沖縄で組織的な戦闘が終結した日で
     9万人以上の民間人が地上戦に巻き込まれて生命を奪われた
     沖縄戦の終戦記念日・・日本人の理解で8月15日と言うと
     反日スイッチを押す

これらに加えて、最近では9月29日を集団自決を強制集団死として、
無理やり、日本軍により住民が自殺を強いられたとする教科書記述を
復活させようという、とんでもない極左運動があり、前後は沖縄二紙が、
この手の記事で溢れ返り、反日機運が醸成されるので注意。

3 独特の編集方針 沖縄タイムス・琉球新報の存在


沖縄県では、朝日新聞や毎日、読売、というような
大手紙は部数が小さく、代わりに、沖縄タイムス、琉球新報という
ローカル紙がシェアを握っています。

この二つの新聞は、反米、反日では完全に歩調を合わせていて、
特に、米軍基地絡みの事件では、それが小さな事件でも、
紙面のトップに持ってくるという、極めて独特な編集方針を
堅持しています。

私は、新聞は公正中立であるべきだとは思いませんが、
この二紙は両論併記という手段を取らないので、
一方のイデオロギーだけが強烈に県民に流布される
という側面があります。

どうひいき目に見た所で、この二紙を購読していれば、
反米にはならなくても反日気味になるのは確実であろうと思われます。
一方で、反米、反日、以外の記事の優先順位は低いので
世界情勢などについて沖縄県民はあまり関心が高いとは言えません。

沖縄に来られる際には、沖縄二紙の事を頭の片隅に入れておくと、
普通の事を言って、沖縄県民の地雷を踏む事を防げます。

4 日本とは違う沖縄独自の歴史


沖縄県は1609年以前は、独立国でした。
1609年以後は、薩摩藩の支配を受けていますが、
幕藩体制に直接組み込まれず、相当な自治を許されます。

何故なら、薩摩藩が求めたのは中国貿易の利益であり
その為には、中国王朝に琉球が薩摩に征服されたと
知られるのは具合が悪く、見た目は独立国に見せる
必要性があったからです。

琉球は琉球国王を頂点した中国風の中央集権制で
武士階級は存在せず、文官による官僚機構により
社会が統治されていました。

江戸時代の封建日本とは、まるで違う政治体制が、
そのまま維持されていたのです。
それが、1879年、中国との間の領土問題を解決しようとする
明治政府により、琉球は自らの意志を無視され、
騙し討ちと武力により強引に併合されます。

琉球は李氏朝鮮より先に明治政府が併合した国です。
歴史の教科書は書き直されるべきでしょう。

その後は沖縄戦があり、戦後は米軍統治下への
置き去りがあり、沖縄県民は漠然とした大和=日本への
不信感を心の奥に仕舞い込んでいます。

もっとも沖縄アイデンティティとか言いながら、
沖縄県の歴史教育は不徹底であり、

授業では長年にわたり、日本には酷い目に遭わされた
沖縄というスタンスでしか授業を受けないので、
詳細には歴史を知らず、一方的に反日感情が封印されたまま
大きくなるというサイクルを繰り返しています。

5 復帰前世代が持つ 差別された記憶の継承


強制的に併合された沖縄では、出稼ぎで本土や、
海外に出ていく人々が多くいましたが、その中で、
本土において人種差別を受けました。

独特の苗字や共通語に不慣れな事、毛深いなどの
身体的な特徴、文化習慣の違いなどで、
沖縄出身者は差別され、苗字を変えて、息を殺して
沖縄人と知られないように生きる人もいたのです。

この傾向は、日本復帰後も、しばらく続き、
このような時期に、本土に渡った沖縄人は、
特に傷つく事になりました。

当時の沖縄では、日本は祖国で帰るべき土地として
教職員によって、熱心な日本人教育が行われたからです。
しかし、本土において、沖縄のような盛り上がりはなく
そのギャップから大和キライになり沖縄県に戻る県民も
多く存在しました。

こうして、親から子へ子から孫へ、
沖縄人は差別されているという負の感情が受け継がれます。
それは、実際に本土に渡れば、それほどでもないと分かるのですが

沖縄の若い世代は、県外に出たがらないので
祖父世代からの先入観で本土人に敵意を持つケースもあります。
もちろん、極く一部でしかありませんが・・

6 地上戦だった沖縄戦の記憶の継承


沖縄県では、北海道の占守島と同じように地上戦があり
その規模は全県が焦土になるレベルでした。
沖縄守備軍は、珊瑚礁の島である沖縄を要塞化し、
米軍を引き込んで迎え撃つという作戦で米軍に出血を
強いますが、同時に9万人の民間人を巻き添えにし
沖縄全域は焦土と化しました。

その中で、守られるべき日本軍による沖縄住民の虐殺、
スパイ視した上での処刑が頻発し、その最大数は、
2000名にも上ると言われます。

このような記憶は、戦争体験として、祖父から孫へと
引き継がれる事になり、その中には、多くの場合、
親切な米兵と残虐で横暴な日本兵という話が出てきます。

米兵が親切だったとは、ただのプロパガンダですが、
一方で日本兵による防空壕からの住民の追い出し、
食糧強奪、スパイ視した上での殺害も事実あったのです。

こうして沖縄では、比較的に若い世代まで、
県民に銃を向けた日本軍の記憶が引き継がれます。

しかし、事実は事実ですので、そこは受け入れた上で
本土の人におかれましては、話をして欲しいものです。

琉球・沖縄の歴史を紹介しています。
http://blog.livedoor.jp/ryukyuhattuken/

今日のニュースを語ります。