琉球の豚を食べていた徳川慶喜


徳川幕府の十五代将軍徳川慶喜
家康の再来と謳われ、西郷隆盛や木戸孝允を
怖れさせた天才、慶喜の好物は琉球豚でした。
今回は精力的な活動をした慶喜の行動を
支えた琉球の豚について書きます。

父は牛肉好き、子は豚肉好き


徳川慶喜は、水戸藩主、徳川斉昭の七男として生まれ
御三卿、一橋家を相続した人物です。
父の水戸斉昭は、大変な牛肉好きで彦根藩の名物
赤牛の味噌漬けが大好物でした。
しかし、彦根藩を継いだ、井伊直弼は厚く仏教を敬い
城下で赤牛を屠殺する事を禁じました。
それ以来、毎年届いていた彦根藩から水戸藩への
赤牛の味噌漬けは届かなくなり、
斉昭は、井伊直弼に催促しましたが、
「当藩では牛馬の殺生を禁じましたので・・」
で拒否され彦根藩を恨むようになったとも言われます。

一方の慶喜は牛はさほどでもないですが、
豚肉が大好物、あまりに豚肉を食べるので、
豚一公(豚肉好きな一橋公の略)と陰で呼ばれました。

薩摩藩の小松帯刀が大久保利通に宛てた手紙


1864年、京都に滞在していた小松帯刀は大久保利通に対して
慶喜の豚肉好きに辟易したという手紙を出しています。

まだ、慶喜と薩摩藩が蜜月のこの頃、
慶喜は禁裏御守衛総督として、御所を守備しつつ
薩摩藩に執拗に豚肉を求めていたそうです。

催促は度々で無いと言ってもくれという始末で
慶喜公の聞き分けが無いのも困ったものだと
小松帯刀は書いています。

慶喜が食べていたのは、琉球豚


一般には、慶喜が求めたのは薩摩黒豚とされていますが、
実際の原典には、琉球豚と書かれているそうです。

理由は、1609年の島津氏の琉球侵略の時に、
沖縄在来種のアグーと薩摩藩兵が連れてきた薩摩豚が
交配して生まれたのが当時の薩摩黒豚だったかららしいです。

薩長を恐れさせ子宝に恵まれた慶喜のパワーの源


徳川慶喜は1866年12月5日に征夷大将軍になり、
僅か10か月の在任期間で、幕府の大改革を行い、
西郷隆盛や木戸孝允を震え上がらせる大活躍をしますが、
そのパワーの源こそ、琉球豚だったかも知れません。
豚肉のビタミンB1は、疲労回復効果を持ち、
長時間の激務が続く将軍の職務を支えたのでしょう。

また慶喜は艶福家でもあり、子供は男女合わせて21名
寿命も将軍を辞めて趣味に生きたせいか伸びていき
平均寿命50年以下の時代に77歳の長寿で大正まで生きました。

やはりここには、琉球豚のパワーがあったように思います。

まとめ


最近では、琉球の長寿の元は、豚肉だったのではないか?と
豚肉食が見直され、お年寄りであれば肉を食べた方がいい
とも言われたりします。
豚肉パワーは長寿にも関係しているのかも知れませんね。

琉球・沖縄の歴史を紹介しています。
http://blog.livedoor.jp/ryukyuhattuken/

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

note.user.nickname || note.user.urlname

今日のニュースを語ります。

ありが・とうッ!

kawauso7777

今日のニュースの感想を独断と偏見で書きます。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。