五丈原

【三国志深堀り】諸葛亮は陣中ではなく村で死んでいた


三国志の英雄、諸葛亮、その臨終の場面というと
小高く寒々とした五丈原の丘で幕舎で身を横たえて死んだというイメージであり、
実際に小説や映画では、そのように描写される事が多いです。
土井晩翠の秋風五丈原も、いかにも寒々しい丘の上の陣営を想像させます。
しかし、諸葛亮が五丈原で死んだのは間違いなさそうですが、
それが原っぱの陣営であると確定しているわけではありません。
例えば、漢臣春秋という史料では諸葛亮は郭氏塢という村で死んだ事になっているのです。
今回は、諸葛亮の臨終イメージが変わるかもしれない意外な説を紹介します。

史書によって違う諸葛亮の臨終場所

漫画や映画の影響で完全に五丈原の丘の上で死んだと
皆が思い込んでいる諸葛亮。
ですが、それは正史三国志の記述であり、それ以外の史料では、
全く別の最後が語られています。

例えば、魏書では以下のような記述があります。

諸葛亮は兵糧が尽きて勢いも無くなり、
思い悩んで血を吐き、一晩の間に陣営を焼いて逃げ出した。
斜谷道に入ってから道中で発病して卒した。

このようにいかにも、魏が絶対優勢の中で諸葛亮が逃げ出して
道中で死んだように書いていますし、
漢晋春秋には、

諸葛亮は郭氏塢(かくしう)という
周辺に城壁を巡らした武装集落で死んだとしています。

そして晋陽秋では、


赤く芒角を持つ星が現れ、東北より西南に流れ諸葛亮の営に投じた。
三度星が落ちて還り、往く時は大きく、還りは小さかった
俄かに諸葛亮が卒した

等と、流れ星を絡めた神秘的な話が残されています。

これらの説の真偽については、今回は触れませんが、
昔は諸葛亮が五丈原の丘の上の陣で死んだというのは
必ずしも固定した話ではなかったわけです。

漢臣春秋に登場する郭氏塢は実在する?

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