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自分は、芸術家だった。

自分で自分のこと、芸術家だなんて、あまりにもバカっぽくて言えなかったけど、それは間違っていると気づいた。
自分は人間ですって言えるなら、自分は芸術家ですって言って何がおかしい!

今まで自分が何者だなんて、ろくすっぽ考えたこともなかったけど、少し長く生きていると、いろいろと自分のことについて考えるものだ。それがなかなか分からないから、もがいてもがいてもがき苦しんできたわけだけど、何かのきっかけで、ハッと気づくものなのかもしれない。

芸術家だから、商売に徹することはできないから、やっぱりできない、自分で納得がいかないときは、スパッとやめる、やめてしまうよ。

でもね、いいものができそうな予感、イメージが湧いて、膨らんでくると、もう誰にも止められない。まっしぐら。
そういう予感やイメージが自分の原動力となって、全力で立ち向かおうとするわけで、そういう予感やイメージが断ち切られてしまう、邪魔が入ってダメ出しが出ると、自分はいいと思っているのに自分を否定されたと認識して、全くやる気を失い、殻に閉じこもり、最悪は死を選んでしまうのだろうよ。幸い、死には至っていないが。

絵描きが、いいイメージが浮かばないから、筆を握らない、置いてしまうのと同じ。
ミュージシャンが、いい曲が作れないから、いい演奏ができないから、レコードを作らない、ステージに上がらないのと同じ。
文筆作家も然り。

職業作家、芸術的な活動を商売にして、その商売に徹することができる人は幸せだろうよ。たとえば〇ーミンとかそうじゃない?そんな人はどうでもいいことなんだけどさ。
自分は、生活のためにやらなきゃいけない、商売に徹してやろうと決めてやっていた時期もあった。その頃は、自分の中から湧き出すものなどは見えなかった、いや見ないようにしていただけかも。
しかし、ある程度は滲み出してくるものはあって、いつしかそれを抑えることは出来なくなって、自己実現できないことに苦しんでしまい、節目の時にはやめてしまうという、結果的には同じだった。
つまりは、商売に徹することはできなかった。

こういう自分の性格に気づき、知ってしまった以上は、それをごまかして生きるなんて、不器用な私にはできません。
そうね、器用なアナタならできるかもしれませんね。
しかし、もう何十年もトライし続けてきてやっぱりできないのだから、これはもうあきらめるしかないのだと思う。バカの一つ覚えで固執し続けることを疑問に思う。そこは個人の判断だろうけどね。

こう思ったのも、以前、森永卓郎さんが言っていたことから。
現代社会を生きるには3つのパターンがあると。
1つは、お上に仕える「サラリーマン」。
2つめは、他人を食い物にして利をむさぼる「ハゲタカ」になる。
3つめが、「アーティスト」つまり芸術家。
1も2もダメなら、3になるしかない、などと言っていた。
面白いことを言うなと、その時はただそう思っていただけだったけど、自分はどれかと考えた時、やっぱり即座に3だろうとは感じていた。
だいたい、サラリーマンが自分に合わないと感じた20代のときに、サラリーマンでない生き方をしようと思ったわけだから、1ができるわけがなかったし、しかし50代に近くなったころ、ひょっとしたら若いときとは違って、今ならサラリーマンに徹することができるんじゃないか?と興味本位で試してみたが、結果はやはり若いときと何も変わっていなかった。それはハッキリと確かめ、感じたこと。ゆるぎないものと思った。
2は、私のような人間の中には、その要素が全くなく、全くというのは詭弁だろうが、意識下には見当たらない。
だから、やっぱり3のアーティストにしか当てはまらないかなと。

そういう消去法ではなく、自分は「芸術家」意識は実は結構強くて、意識した瞬間から、全身芸術家の色に染まったような、そんな気づきの瞬間だった。だから、もう紛れもなく自分は芸術家と言って構わないだろう。
だいたい、芸術家の細かい定義などあったとしても、それは誰かが勝手に決めたことだろう?言ったもの勝ちみたいに、誰かが先にそう言ったから、多くの人がそうかなと同意したから、少数意見を見ていないから、そう思い込んでいるだけで、実際には芸術家かどうかなんて、自分で決めていいものなのだ。違うと言ってくる輩なんか相手にしなきゃいいだけ。

そんな芸術家の私が、文系の私が、理系の仕事をやっているなんて、酸性とアルカリ性をまぜているみたいな、おかしなことやっているけど、そこに起きる化学反応みたいなものに興味があって、それを楽しんでいるのかもしれない。
だいたい私は、好奇心だけで生きているような人間。
面白そうなことに魅かれて、ふらふらと吸い寄せられていくようなところもある。
全くブレない、なびかない部分もあるけど、そこは外的な力と、自分の内面からのアクションとの違いだろうね。

だから、結論。
芸術の仕事ではない仕事をしているけど、自分としては、あくまでも芸術家として、対象を芸術的に表現する、それに徹するのみ。
扱うものがちょっと違うだけ。することは同じ。
そこにまた化学反応が起きて、それを楽しんでいるのかもしれない。
それじゃダメなんですか?
たとえアナタにダメと言われても、私は耳を貸さない。アナタの意見など信用しない。信じたいのはやっぱり自分だから。
だいたい、私とアナタにどんな関係があるというの?
赤の他人じゃないの?
アナタのどこがエライっての?
肩書だけでしょ?
肩書のことを辞めたらタダの人でしょ。
アナタはアナタで、自分の思い通りにしたいのかもしれないけど、私にそんなことは通用しません。私はそういうところはブレないから。弱い者イヂメはやめてください!
肩書は、あくまでも肩書。人間そのものを表しているわけじゃないんだってこと、しっかりとアタマに、胸に刻んでおけ!
ボーっと生きてんじゃねーよ!