あのとき私は

代々木のマックでコーヒーを飲んでいた。テーブルに一人で座って、めまいがしているような揺れを感じていた。寝不足で揺れてるように感じているのかな? 周りの人は誰も動かない。

その時だった! 大きく揺れた。みんな立ち上がった。外の電線がユッサユッサ揺れて地面につきそうだった。外に飛び出した人がいた。中で立っていてどうしようと思っているところに、マックの従業員が、大丈夫ですか? 大丈夫でしたか? 一人、ひとりに気遣いをしながら聞いてまわっていた。

地震だった。北の方で地震があったらしい。情報はすぐ走った。

私はマックを出て、隣のコンビニに飲み物を買いに入った。レジでお金を払いながら、どこで地震ですか? ときいた。福島県で起きたようだと答えが返ってきた。

今、私は何のために代々木にいるのか?

コンビニの数軒先の歯医者に定期検診に来ていたのだった。小さなビルの4階までエレベーターで上がって歯医者に着いた。地震の話をしながら椅子に座って、歯を診てもらって、歯石などを落としてもらった。その間にも揺れた。大したことはないけど、揺れた。

院長の弟は、アメリカのアイオアで歯医者をしている。彼は、私のネット友達だった。日本に帰ってくるたびに会っていたが、私の横浜での歯医者が相性が悪かったので、兄が代々木で歯医者をしているから、セカンドオピニオンで診てもらったらどうかということになり、通うようになったのが代々木の歯医者だった。

歯医者が終わって代々木駅に行った。電車は動いてなかった。思っていたより大変な地震だったようだ。その時はまだ道路を普通に車が走っていたが、タクシーは捕まらなかった。電車が動いてないので、歩いている人がたくさんいた。

どうしよう?

私は、車で渋谷まで来ていた。渋谷の駐車場まで行けば車に乗れる。

交番に駆けこんだ。どうやって渋谷に歩けばいいか尋ねたかった。私の前に外国からの数人が羽田まで行きたいといっていたが、その方法は今はない。歩くしかないと話していた。私が渋谷にはどうやっていけばいいか尋ねたら、この前の通りを下って行きなさいという。人の流れができていた。歩道を歩いた。ただ歩いた。運がいいことにスニカーを履いていた。みんなに歩調を合わせて歩いた。隣を歩いている若い女性と話した。彼女も渋谷まで歩くという。新宿駅から歩いてきたという。ハイヒールを履いていた。歩いているうちに車道は、混雑してきていた。歩く方が早くなっていた。

みんなよく歩く。川の水が流れるように歩いている。危ない! 転ばないようにしなければ! 誰かが倒れたら将棋倒しになってしまう。

運よく将棋倒しになることもなく渋谷の宮下駐車場に着いた。車を出してどこに行こう? 考えながら息子のスタジオに行こうと思った。自分の家まで運転することは無理だと思った。スタジオは駐車場から近かったので、すぐに着いた。

スタジオで仕事をしていた青年は、コンピューターに向かって誰かと話していた。息子と夫だった。三方向で話していた。携帯や電話はつながらなかったが、コンピューターでは楽々話すことができた。息子は北海道に行くので、羽田で待っているときに地震がきた。夫は事務所で仕事をしているときに地震がきた。

みんなが無事で話ができてホッとした。

そうこうしているうちに夜の8時をまわった頃に、一人のイギリス人がスタジオにやってきた。品川で新幹線に乗って京都に行く予定だったが、ちょうど電車を待ってホームにいたときに地震がやってきた。昨日まで息子とスタジオで仕事をしていたイギリスからのミュージシャンだった。どこに行ったらいいかわからないので、スタジオに戻ってきたといった。

地震のない国イギリス人には、考えられないほど大変な様子だった。ロンドンの母親に地震の様子を詳しく話していた。

とにかく彼は落ち着かなくて、物をあちこちに動かしていた。レコードの棚からレコードを出してみたり入れてみたりを繰り返す。自分の荷物を開けたり出したりしまったり!

コンピューターに向かっていた青年が、今環八は内回りがスイスイ車が流れていると教えてくれた。荷物をまとめてイギリスの青年を連れて、横浜に帰った。いつもと変わらない時間で帰りついた。家には夫が帰っていた。そのうちに羽田にいた息子が帰ってきた。

テレビから流れてくる映像に目を疑う! これ、本当のこと? 嘘でしょ!

原子力発電所が地震で壊れた。

翌日東海道新幹線は動いていたの、イギリスのミュージシャンは帰っていった。

買い物もままならなかった。買いだめはできなかった。スーパーの入り口に並んで、順番に中に入り決められた数だけの欲しいものを求めた。

アメリカの歯医者さんから、メールが入る。原子力発電所が大変なことになっている。米軍が援助にやってきたが、放射能がひどくて、近寄れない。日本の報道や政府からの情報は、あてにならなかった。

放射のを浴びた人たちには、当然ヨウ素を配って飲んでもらっているでしょうというけれど、どうだったのだろうか?

情報が錯綜してどれを信じればいいのかわからなかった。


時間が経つごとに地震の様子がテレビから流れてくる。被害は想像もできないほど巨大だった。たくさんの人が津波に飲まれた。今、一緒にいた人が瓦礫の浮かんだ海の中に飲まれていく。原発の事故まで起きて、地震だけの被害ではなかった。

ちょうど10年前に起きた東日本大地震!

私が経験したことなど、どうってことはない。あのときあの場にいた人たちの痛みはいかほどだったか? 当人でないとわからない様々な辛さや悲しみや悔しさや、、、10年経って、ようやく語れるようになったというのをテレビで見ている。語り継いでいく重要さを教えてもらっている。

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