門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

新年あけましておめでとうございます。

一休宗純が詠んだといわれる冒頭の狂歌は、「正月は余命が残り少なくなる節目であるのだから浮かれてばかりいてはいけない」という戒めの意味なのだろうと思う。
だが、この「冥途の旅」はあとどれくらいで終点になるのかほとんどの人にはわからない代物なのだ。
だから、「60番めの一里塚を越えたからあと何里で終点だね」という予測もできない。
なので、「自分の『残り時間』を意識せよ」という戒めであると受け取るとともに、通り過ぎた一里塚を思い起こして数えつつ、「ここまで頑張ってこれたんだよなあ」と自分をほめるための節目にしてもいいと思う。
一休の「冥途の旅の一里塚」にももしかしたらそういう意味を含んでいたりするのかも、なんてことを思ったりもする。

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