寅さんを受け容れるひとっていいなぁ

年末年始の楽しみの一つが「映画鑑賞」である。

年末年始は往年の名作などいわゆる「いい映画」が放映されることが多い。2019-2020におけるNHKの”年越し映画マラソン”はこんな感じである。

・風と共に去りぬ
・インディ・ジョーンズ4部作
・大いなる西部
・グラン・ブルー完全版
・オードリーヘップバーン出演作3作
 (昼下りの情事・ティファニーで朝食を・シャレード)
・男はつらいよ3作(第1作・第9作・第15作)

まさに「好き嫌い言わずに、一度は見ておけ」といえる名作ぞろいである。

ただ、どうしても好きになれないものがある。

それが「寅さん」なのだ。

寅さんの自由さと、それを笑って見られる人のやさしさがうらやましい

「好きになれない」と書いたが、正直なところ嫉妬である。「あんな風に好き勝手にやって生きていけるはずがない。(…けどうらやましい。)」という気持ちでいっぱいになるのだ。

自分勝手、口八丁、恩知らず・・・ことあるごとに、「炎上」するような言動をする寅さん。途中でいいことも言うけど、結局フーテンで勝手な寅さん。正直、寅さんを見ていてイライラすることも多い。

でも寅さんはみんなに愛される。劇中でも、それを見ている人からも。

寅さんが「根はいいヤツの純情お調子者」で憎めないってのは分かるし、なんだかんだ「ええなぁ」と思う場面もいくつもある。わかっているのだ。本当はどこかで憧れてるのだ、あの奔放な生き方に。決して自分では歩めないあの生き方に。だから余計嫉妬する。

でも取り巻く人は寅さんへの憧れなく、愛している。邪険にすることもあるけれども、決して関わることをやめない。ただただ「寅さん」という存在を受け容れている。
そして、見ているお客さんも身勝手な寅さんを愛し、受け容れている(但し、こっちは寅さんに憧れている人も多いだろうけど)。

小市民としての生き方を歩む。そのなかで寅さんをただただ受け容れる。
そんな周りの優しさにあこがれるし、そうなりたいと思う。嫉妬まみれの気持ちを抱きながら。

寅さんを愛せる社会がいいのかも

今の時代はコミュニティの細分化が起きていて、共感できる人たちの集まりで過ごすことが多い。そうでない場所、例えば職場などでは、コミュニティへの参加は強制されなくなってきている。だから共感できない人とは「コミュニケーションを最低限にする」ことが可能だ。SNSでは”ブロック”してしまえば、もう関わることはない。

だけど、寅さんの世界ではコミュニケーションをとり続ける。「分かり合えない他者」との断絶はない。互いに交わりながら、決して理解しあうことがない人ともかかわり続けていく。そして居場所はいつでも作ってくれる。

今は自分とは「異質なもの」と”関わらざるをえない”ことが少なくなった。地域のコミュニティしかり、職場のコミュニティしかり、親戚関係しかり。
いつも自分のコミュニティは考えが合う人ばかりである。そうでないなら拒否しないまでも最低限のかかわりでいればいい。ある意味ラクになったのかもしれない。

でもだからこそ、「自分とは合わないヒト」とのコミュニケーションが下手になってきているような気がする。自分とは違う価値観を持つ人への想像力、相手を諭すこと、相手を受け容れること。寅さんの世界では当たり前のことが今の社会では必要で、でも培われにくくなっている気がする。

「多様性を受け容れる」ってそういうことなのかなぁと思うと、この映画を受け容れられないこと自体、まだまだ器が小さい証拠だなと思っています。


「寅さんって、愛らしいよなぁ」と思える日が来ることを願って。

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