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『誰かに遠慮してしまう優しい人』が自分らしく生きるための情報発信。vol.41

イベントに参加して気づいたことを

実践に活かそう!ってなことで

米田くんの自己理解シリーズを進めていきまーす!

SNSマスターになりたーい!!

ゆうこすさんのアドバイスを実践。

お題はこちらです。

自分がどんな人間なのかを発信して共感をしてもらう。

私ぶりっ子なんです。小中高までぶりっ子として生きてきたんです。
ぶりっ子って【人にモテること=人に喜んでもらう。】ことなんですよ。
アイドルの時は男性ファンに向けたものでしたが、SNSで発信する時に、
自分なりに分析をしたそこで気づいたことが、
リツイート・フォローされている人は共感をしてもらっている。
私も届ける先・届け方を変えれば、
共感を生むのではないかって考えたんです。
私は私と同じようなぶりっ子の女の子たちの背中を押しているんです。

まずは、自分がどんな人間だったのかを振り返ってみました。

こんな感じで定期的に振り返りをしています。

今回はかなりざっくりと振り返りをしていますが、

自分が誰に向けた発信や事業をしているのかと明確にするために

振り返りを行いました。

ゆうこすさんでいうと、『モテるために生きる』。

ぶりっ子の女の子への発信。

そうだとするなら、僕は誰に対してどんな情報を発信したいのかを

明確にして行くために過去の振り返りを行いました。

先にまとめておくと、

まとめ

・人を笑顔にしたい!
・コンプレックスに悩む。
・周りの目を過度に気にする。

人を笑顔にすることが好きだったんだ。

まずは、僕はどんな夢を持っていたのか?

という問いを立てて考えました。

幼稚園の頃の夢は漫才師でした。

おじいちゃんと一緒に関西ローカルの漫才を見るのがとても好きでした。

よく笑って楽しかった。

みんなの前で陽気に一発芸みたいなことをする幼児でした。

その時には、人を笑顔にすることが好きだったんだと思います。

コンプレックスがあるから価値がない。

小学校に入る頃に、記憶が曖昧ではありますが、

肥満とアトピーというコンプレックスを持っていました。

僕には兄妹がいます。

僕は3人兄妹の真ん中なんですよね。

兄からムカつくという理由で罵倒されたり、

殴られていました。

いわゆる、兄弟ゲンカですね。

僕もかなり生意気だったのだと今では思います。

『包丁をむける』って相当ですよね。

なぜか、小学生の1年生なのに、絶望していた覚えがあります。

肥満でアトピーで、耳鼻科にも通っていたので、

僕には価値がないと思っていました。

『包丁をむける』のは、普段から感情を出すのを

我慢していたから突然キレることがわかりました。

その当時は、妹がいたこともあり、居場所がなかったのかもしれません。

〜〜〜〜〜〜〜〜番外編〜〜〜〜〜〜〜〜〜

幼少期のことを知ろうと思っていたら、親子カウンセリングをされている方の興味深いブログを発見したのでご紹介しておきます。

 「母親思い」という性格が、いい子であるという「仮面」をつけてしまうことと、深く関係しているように思えてならない。
 子どもに泣かれたり、ダダをこねられたりして、喜ぶ親はいない。しつこく甘えられることも、負担に思うことが多いだろう。だからといって、ふつう子どもは、親に遠慮をしたりはしない。ところが、生まれつき感受性の高い子どもは、親の気持ちがわかりすぎ、親に負担をかけまいと、無理にホンネの気持ちをしまい込んでしまうのではないだろうか。そう考えると合点がいくケースが、長年、多くの相談を受けていると、あまりにも多いのである。それは、赤ちゃんの場合も例外ではない。

 特に僕が印象に残っているのは、上記の引用の『生まれつき感受性の高い子どもは、親の気持ちがわかりすぎ、親に負担をかけまいと、無理にホンネの気持ちをしまい込んでしまうのではないだろうか。』という部分です。

大学生や社会人3年目までの方の人生の振り返りを仕事として実施してますが、やりたいことがない、自分らしさがわからない、自分の本音がわからない、という人がたくさんいます。
その原因は、物心つく頃からいい子であろうとしていたことには気付いていました。『それは親の責任なのか?』と思ってはいましたが、感受性が強ければ親は何をしていても兄弟構成や環境によってそういった状況が出てくることがわかりました。

僕も当時妹が小さかったこともあり、

母に甘えることを遠慮していたのでしょう。

親子関係で悩む人は多いんだなぁ。

改めて思ったという感想でした。

〜〜〜〜〜振り返りに戻ります〜〜〜〜〜

周りの目を気にして生きる。

自分に価値がないと生きることに絶望していた僕は、

できるだけ目立たないように暮らしていました。

そこで出てきた夢が『サラリーマン』。

その当時は、夢はなんですか?って言われても、

サッカー選手なんて叶うわけないし、

夢なんてない。普通に暮らせればいい。

そんな社会に拗ねた小学生でした。w

今思い返せば、自分の好きなことや興味のあることに

目を向けることがなく、周りの目を気にして生きていました

小学生の頃までを振り返ると、

自分が一番に自分を否定していたんだと思う。

自分の感情にたくさん自分で蓋を閉めてきたんだと思う。

当時の通知表を見ると、『優しい子』と書いてありました。

僕は『誰かに遠慮してしまう優しい人』たちが

生きやすくなる情報を発信したい。

まとめ

・人を笑顔にしたい!

・コンプレックスに悩む。

・周りの目を過度に気にする。

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