今から数年前、ノンカーイという、日本でいうところの秋田青森あたりに住んでいた。
平日子供が学校に行っている間ぷらぷらしていた自称タイ語勉強中の私は、その日も友人と屋台でバミーという中華麺を食べていた。

食べ始めてすぐに、どこからともなくおじいちゃんが現れ、私たちの座っているテーブルの真横に立った。
そしてアーとかウーとか、言葉にならない言葉を発している。こちらを向いているので、すぐ真横で観察されているような形だ。
会話することができないのは瞬時に理解した。

「どうしよう」そんな風に思って、体がこわばってしまう。顔が上げられない。向かいに座る友人がうつむき加減で送ってくる視線も、「どうしよう」と言っていた。
彼女もだろうし、私も知らないのだ。
いとこが軽度の障害を持っていたけど、会話はできた。
ひいおばあちゃんは物心ついた時からボケていたけど、一緒に暮らしていたしとてもおとなしい人だったので空気のようだった。
会話のできない全くの他人にどう接するのが正しいのか、接したことがないからわからない。
街中や電車の中でアーとかウーとか言っている人を見かけたことは一度か二度あったけれど、話しかけたことがない。

そこに誰もいないかのように食事を続けるのも憚られて、そっとおじいちゃんを見上げる。
と同時ぐらいに、屋台のおばちゃんの声がこちらに向かってきた。

当時はタイ語もほとんどできなかったので何を言ったのか正確にはわからなかったけど、「何やってんだじーさん、ホラこっちに座れ」みたいなことを言って、おじいちゃんを隣の席に促した。
傍にいたお客さんも手伝っておじいちゃんを座らせる。
おばちゃんはちゃちゃっとバミーを一杯作ると、ホラ食べろとおじいちゃんの前に置いた。
おじいちゃんはもちろん注文していないけど、少し震える手でどんぶりに入れてあったレンゲを持つ。
そしておばちゃんはひとりで来ていたそのお客さんと、中断されていた会話を再開してガハハハと笑っている。
なんでもないように。

フラッとやってきたおじいちゃんが身内なのか他人なのかわからないけど、おばちゃんもお客さんもあんまり普通だったから、私は少し自分が恥ずかしくなった。
友人はぽつりと「なんか、すごいね。」と言った。うん、すごい。
うまく言えないけど、すごいと思った。

少し前のことだけど、バンコクのスクンビット通りを服の上に下着をつけた女性が踊るように歩いていた。衣類がきれいだったので、ホームレスではなさそうだった。
Tシャツの上にブラジャーをしてハーフパンツの上からショーツを重ね着するその人を見て、一緒に歩いていたタイ人が「かわいそうだね。」と言った。
私も「そうだね。かわいそう。」と返した。
「きっと今は家族がいるだろうけど、親が死んじゃったり、面倒を見る人がいなくなっちゃったらどうするんだろう。ごはんだって食べられなくなるかも。病気になったらどうするんだろう。かわいそうだ。」と続ける彼女。

私が言った「かわいそう」は、「おそらく知的障害者である」ということにのみ言及していたので、目から鱗だった。
言われてみればたしかにそう思うんだけど、その人をパッと見てそこまで想像するということを私はしなかったので。

タイに移住する際に、私は何人かの人に「どうしてタイなんかに」と言われた。
実際に移住した後も、「タイは後進国だから」とバカにする日本人にたくさん会った。
なんだかかなしいことだなと思うし、賛同はできそうにもない。
思いもよらないところまでマイペンライだったりして、このタイランドめー！と思うことは多々あるけれど、それでも私は、私なんかよりずっと懐の深いタイの人を根っこの部分で尊敬している。
来て良かったなぁって何度も何度も思ってる。

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