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二十歳の記念碑

気づけば、20才になっていた。

20才になるまで、19才から20才になるということは、ものすごく大きい意味を持つだろうと思っていたのに、私はとくべつ何も変わっていない。

ただ、胸に訪れる感慨のようなものは確かにあって、それがうれしいような悲しいような、さびしいような、なんとも言えないような気持ちがする。

確実に訪れるモラトリアムとの訣別が、手を伸ばせばそこにあること。

ひとは、人々と関わり合いながらも、芯の部分ではひとりで生きていかなくちゃいけないんだなと、ふと肌身で感じてしまったとき。

日常において、こういうようなことを思ってしまったり感じてしまったりすると、笑っていても泣いていても、なんとなく表情が変る。

こんなことをしている場合じゃないぞ、と思って、すこし背筋を伸ばして、しゃんとする。

そして、大切な家族や友達に思いを馳せたあと、若いといわれる今だからこそ、できることはあるのだろうかと考える。



10代の10年、私は無邪気に子どもだった。

思春期という分裂の時期は、悲劇的な日々だったわけでもなく、ただめちゃくちゃに喜劇のような毎日であったわけでもなく、すき通った泉のような年月だった。

石を投げられたら波打って、嵐の日には水かさを増して周囲に迷惑をかけ、日照りの日は穏やかで、乾くひとにも優しい。

こんなふうに、情緒がひとつのことで、ぽんと動く。

反応性のよいこころを持って過ごした日々だった。

来る日も来る日も、よい本を読み、よい映画やドラマを見て、友達とあらゆる事柄について語りまくり、推しをズカズカ追いかけまわし、課題やテストや受験には追いかけまわされ、サイゼリヤ、スタバ、マクドを3大聖地として過ごした、そんな、慌ただしくも素直な日々であった。

もっとこうすればよかった、あんなことは気にしなくてよかったのに、とか、あとから不足を数えればいくらでも出てくるものだ。けれども、私の10代は、あれが精一杯だっただろうなとあの頃の自分をあたたかく見つめる、20才の自分がいるのである。



さあ、20才からの10年は、どう生きようか。

そんなことをたびたび思うようになって浮かんでくるのは、自分の繊維のようなものたち。

10代とは言わず、幼い頃からこれまで、私はさまざまなことに関心を持ち、その関心の行方がとっ散らかっていることを自分ですら不思議がりながら、点在する好きなことを愉しんできた。

それらは今もなおバラバラのままで、その上、関心を示す矢印が先の方で枝分かれしたものもある。

けれども、ひととの出逢いやいろいろな巡り合わせにより、自分の中で少しずつ、軸のようなものが形作られてきた。

20代という新しい10年を、私はこの軸に則って生きれたらいいなと思う。

もちろん、自分の青臭い考えだけに固執はしたくない。どんどんいいものを取り入れて、未熟な自分に馴染ませたい。そして、10代のときと同じく、泉のように澄んだ感性を持ち、自然な感情の流れを感じたい。

物心ついた時から培ってきた土壌で、ようやく種が根を広げている今、そして、その根を太いものにしたいとどんどん欲張りになっている今、私の憧れの人の言葉を思い出す。

『人生って夢やイメージではなく、毎日毎日が続いてゆくものであり、人間が一日にできる事といったらホントにちょっとだけだし、ちょっとだけしかできない事を、楽しんだり味わったりしてゆく気持ちを若い頃から忘れないでいて欲しいと思う。』

生きることについてとか、愛することについて、とか大それたことを頭でっかちに考えすぎないで、1日1日、現実という少しつめたい地面に足をつけて、淡々と歩いていきたい。

後退する日もあるだろうし、一時停止なんて挟みまくると思う。

自分の不器量さに辟易することだって、きっと幾度となくあるだろう。

怠惰な気質を持つ私には、去っていった日々の置き土産が大量にある。総量は、かるく軽トラック1台分くらいだろうか。

せめて20代では、ダンボール5箱くらいで収まるようにはしたいものである。

そして、30代の自分へ、もっとたくさんの餞別を渡してやりたい。

そのために、まずは、今日1日を、私なりの一生懸命とマイペースと、とてもキュートなにっこりで以って、多少のことがあっても、ほがらかに生きていく。


私へ、ハッピーバースデー!!!!!

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