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わいせつの定義と問題点

 わいせつという概念については、性的な表現の規制とは切っても切り離せないことの一つである。現代でもAVのような性的なコンテンツは、ある程度のゾーニングがされているものであり、わいせつ物頒布材やわいせつ物陳列罪などといった、刑事罰にもかかわる部分もある。

 表現規制に関して、国家からの侵害を極力避けようとする動きがある中で、性に関することについては、他の表現とは違った扱いを受けいているのは誰の目にも明らかであろう。

 この「わいせつ」というものをめぐって、過去には最高裁にまで争われたような事例から、近年における萌え絵などを利用した広告の炎上にに至るまで、今なおその定義に関して争いが起こっているものであり、性的な表現に関する部分の源流にもなっている。

 大本となった「わいせつ」の定義に関して、判例の基準としては

「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの」

最高裁昭和26年5月10日判決

 となっており、今でもこの定義で通じている状況であるが、これだけを読んでいてもよくわからないだろう。そのよくわからないという部分が、実に大きな問題点をはらんでいるのだが、以下のような検証をもとに進めていきたい。


1 正常な性的羞恥心? 善良な性的道義に反する????


 さて、定義としてはさきほど「普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの」として示したのだが、具体的にどんなことがそれに当たるのかというのはこれだけではわからない。

 漠然としている故にどこかから切り込んでいかなくてはならないわけだが・・・うん、そうだな。例えば一切衣服を着けていない状況で公道を歩いていたりするなのだろうか?
 これであるなら、わいせつにあたるんじゃないだろうか?とも感覚的には考えられるだろう。だが、美術品だとかというのには全裸と言っても過言でないものもあれば、そこまで行かなくても露出がかなり多い姿をさらしている広告というのもあるわけで。

 美術品なら良いのか?いや、そもそも露出しているからと言ってもこれじゃあ性的には・・・というものだったあるのではないか?また、日本以外の国とは言え、女性が胸を露出していても問題にすらならないケースもあるのだが。

 実際に全裸の状況が出ていなくても、文章内容によっては有罪になるケースもあれば、モザイクが入っていても修正が甘いようなケースやいかにも性的な行動が入っているとすると有罪になったりと。中身によってもなかなか判断材料が複雑である。

 それに、社会慣習や常識と言ったものだって変化するわけだし、状況も異なってくる。ほんの少し考えただけでも、割と「わいせつ」の定義というのは当てはめが難しいのだ。

 

2 基準が不明確である事における、表現規制の濫用懸念


 基準として曖昧なことと言うのは、容易にその定義や範囲を拡大できるという懸念がある。これは「わいせつ」である。となるのであれば、事前に表現内容を規制してしまえる事も可能である。ただし、「わいせつ」の定義がはっきりしていないのであるのなら、規制したことが正しいかどうかを事前に判断することが困難である。

 規制側の主観や恣意的な判断で事前に規制を認めてしまうと、検証するにしても、事前に規制されれば他人からは表現そのものを見ることは叶わないのだから、人々がそれを検証する方法を失ってしまう可能性もあるだろう。手続きの内容だって、権力側が規制した理由を後から説明したとしても、それが正しい手続きだったかどうかというのは、情報公開されるとも限らないので、判断するのも難しい。また、一度規制を行ったことによって、その状況から回復するまでに時間がかかるだろう。それだけでも表現の自由の行使をするのに大きな疎外になる。

 そういったことを狙っていけば、相手の表現に対して恣意的に規制をかけることことができる。応じる負担を大きくさせることができればできるほど、表現を徐々に制限させていくことが可能なのだ。(スラップ訴訟のような手段を公権力が行えてしまうこともできる。)

 もちろん、刑事事件に発展するケースとなれば、罪刑法定主義の側面からも刑罰法規が曖昧で恣意的というのは非常に問題である。一定の基準があるからこそ、人々はあらかじめどんなことをしてはいけないのかと言うことを知り、その法を正しく守る事が出来る。

 だが、わからなければ守ることは難しい。専門的な感じにいえば人々の予測可能性を奪い、行動を萎縮させてしまう。と言った話が典型的な論理として出てくるわけではあるが、人々が何をして良いのか悪いのかを判断できなければ、何も出来なくなってしまうのではないか?刑事原則の根本的な部分に接触しているのであるのだから、この基準は法に反するのではないか?

 とも考えられるのである。(実際にわいせつ物陳列罪などの刑事罰を廃止論を主張する人がいるのもこのため。)

3 のちの規制が与える先の作品への影響

 
 規制の範囲が広がったりすることによって、先に公開されている作品というのは大きな影響が出る。

 新しい法律ができた際、それまで合法だったものが違法となるのではあるが、法律が始まる前の行為はもちろん違法ではない。事後法の禁止という一般原則はあるものの、一度出た作品であってもその作品は非合法のものとなってしまう。しかし、一度出てしまった作品をすべて封じるといったことは難しいものであり、またその処理を行わなくてはならないというのは過大な負担ではないだろうか?
 もちろん、過去に作品が問題なく出回っていたとしても、わいせつ性が否定され、故意そのものが消失するというようなことは認めていないのである。(東京高裁昭和54年6月27日判決)

 その状況下で現代における情報化社会を鑑みるに、インターネットで一度出てしまった情報をすべて取り除くというのは難しい。また、過去に多く頒布されたものをすべて回収して規制していこうとすることもまた困難であろう。それがわいせつの定義が広がれば広がるほど、そこから逃れる困難さと違法性を問われる人間が増えることになる。

 もちろん、今後定義の範囲が変わることについて、どうなるかというのはわからない。そうなるともはや収拾がつくのだろうか?という面も考えなくてはならない。従来の方の在り方を再構築する必要すらあるだろう。



 といったところで、わいせつの定義の問題点については記述を終える。残りはこのわいせつの定義から離れていってしまっている、現状の性的表現規制についての問題点を述べる。


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